行き先だけ熱海と熱川と違うだけで集合する東京駅近くの鍛冶橋交差点角のパーキングに駐車している熱川行きを探した。というのも幹事役の本日の当番役の2人は、一人は実の姉さんの葬儀とかち合い欠席、もう一人は法人会の地区会長として、行事とかち合ったので遅れて出席するということで、昨年行なった実績を買われて、行きだけ代行するということで、7人を引き連れて曳舟から京成押上線に相互乗り入れしている京急や都営地下鉄押上線で、浅草橋まで行き、ここでJR総武線秋葉原で山手線に乗り換え東京駅で降り八重洲口から鍛冶橋駐車場に向かった。

 会長自身が体調を崩してこの3両年は思い通りの行動が出来ず、時間はタップリとって余裕のある行動をしなければならず、今回は昨年と全く同様なので、その点はおさらいをしているので、余裕持った行動が出来る。バスの発車は9時なのに8時半には来ていた。

 バスは時間通り発車して首都高速京橋インターに入り、高速1号線から汐留・浜崎橋・芝浦・天王州アイル・品川シーサイド・鈴ヶ森の大井競馬場・平和島・昭和島・羽田空港西・多摩川を渡り、産業道路上の首都高速神奈川1号横羽線に入った。暫くは川崎の工場群が左右にあり、夜になるとライトアップされた工場を見に来る若者多いと評判も聞く一帯を抜けて、横浜市に入り鶴見川に架かる鶴見大橋を渡り、生麦に入った。生麦ジャンクションで産業道路は右にカーブして第1京浜に合流する。暫くはキリン横浜工場の建物が右に並び、左には新日本石油精製横浜工場第6製油所のタンクを見ながら先に進んだ。

 JR東海道線や京浜急行がグッと近づき、子安を過ぎ東神奈川辺りで第1京浜に上を走り出した。JRや京浜急行、東急東横線の横浜駅北側の金港ジャンクションで、首都高速神奈川2号三ツ沢線に入り、2つばかりのトンネルをくぐり第3京浜に入り、国道1号(第2京浜が東神奈川付近の立町で二股になり横浜新道へ直行)の上を跨ぎ、保土ヶ谷インターで横浜新道へ、横浜国立大学が付近一帯にある。そして国道1号も合流し八王子街道の上を横断して、保土ヶ谷公園が道路沿いに1キロはある。

 やがて、狩場インターで首都高速神奈川3号狩場線と横浜横須賀道路が合流して、新保土ヶ谷インターで合流し、

離反して各方面に行く。横浜新道は真直ぐに進み、また、国道16号は保土ヶ谷バイパスとなり、そして大和バイパスから東名横浜町田インターにつながり、その先は八王子や関東の中軸をなし、埼玉・茨城・千葉と環状線の役目を果たしている。

 目まぐるしくインターは訪れるのもここまでで、この先は安心して運転も出来るだろう。保土ヶ谷区から旭区と変わり、初めてのインターの左近山を過ぎ、東海道新幹線・相模鉄道二俣川駅付近、厚木街道との本村インター、左に緩やかに大きくカーブし、仲原街道との下川井インター、上川井インターで八王子街道とと相次いでインターガあって大和バイパスが始まる。

東名高速に入線するには複雑な回転をしながら料金カードやETC通過しなおも回転をして本線にはいる。ここから先は個人的には首都高速6号向島線、都心環状線、3号渋谷線と進み用賀料金所、東京インター、多摩川を渡り東名に入り、東名東京料金所、東名川崎インター、東急田園都市線を跨ぎ、ブルーラインが上を横切り、東急田園都市線の江田駅近くで厚木街道を横切る。

 2級河川の谷本川先の横浜青葉インターは、国道246号厚木街道からの出入口で、1キロ足らずで港北パーキング 、そして鶴見川上流を渡り、暫くすると左には昭和大保健医療学部や長津田寮などを含むい練の建物が散在し、4キロ足らずで横浜町田インターとなる。インターは横浜市緑区だが、1キロばかりの間に東京都町田市、横浜市瀬谷区と目まぐるしく変わり、そして大和市になって厚木大和バイパスから分かれた藤澤街道を跨ぎ、小田急江ノ島線を横切ると高速の大和バス停がある。

 バス停から500mもすると渋滞というと必ず名前の上がる大和トンネルは300m足らずの米軍厚木基地の滑走路延長線上になるので高速の上に蓋を被せたようになっている。高速もここから海老名サービスエリアまでは、切通しのようになっていて、跨いでいる生活道路、県道や相模鉄道本線なっど25もある。

 

 

 海老名では15分の休憩の後、3キロも走ると相模川に差し掛かり、そして500mも行くと厚木インターで東名と分かれて小田原厚木道路に入った。厚木にしインター間で大きく左にカーブし、伊勢原市に入る。石田小学校、自修館中等教育学校の校舎を過ぎ、左に大きく又してもカーブし、田園風景の真っ只中に伊勢原インターがある。

 右にカーブが始まると平塚市に入り、入り組んだ狭い300mばかり伊勢原市に入るが、1キロもすると平塚インターになる。

そして4キロもして大磯町にはいると、新幹線が見え隠れする。大磯インター辺りを過ぎると距離は余り変わらないが山や雑木林、切通しに絶たれて視界は悪い。二ノ宮インターと多少の距離は離れたりして小田原市に入り弁天山トンネルとくぐると、およそ9キロ先の御殿場線を跨いだ辺りから新幹線は大きく南に離れてゆく。

 小田原厚木道路の両側も工場に混じって住居も建ち並んで、空地も見当たらないほどで、左にほとんど分からないようにカーブすると小田原パーキング、そして、小田原インターは国道255号線に接続している。そして右側には工業団地があり、YKK神奈川工場、明治乳業、三菱化学小田原工場、化成オプトニクス小田原工場、左側は向上に混じって一般住宅が並んで、酒匂川となる。

 左にカーブし始めると小田急小田原線、更に左に左にとカーブすると下流で二股になった狩川を渡り、トンネルをくぐると、更に左にカーブする。そして右にカーブすると山間に入り、切通しは深さを増し横切っている横断する橋を過ぎると、荻窪インターになる。

1キロ近くある風祭トンネルを抜け、西湘バイパスとの小田原西ジャンクションから西湘バイパスに入り、箱根ターンパイクと合流し、早川を渡ると新幹線下を通り、東海道本線の上を跨ぎ旧早川橋際早川インター先のジャンクションを経て、西方向海岸線を進み小田原ブルーウェイブリッジを渡り、この辺りでは上りも下りも大渋滞で有名は難所で今日もノロノロ運転を余儀なくされた。

 まず国道135号線と、そして、一般道路と合流した。石橋インター先は残された旧道もあるがバイパス道路は、かなり広くなっていて走行には余裕もある。左は海岸線、右は迫る山肌と猫の額ほどのところを縫っている。8キロも行くと有料の真鶴道路の岩インターが見え始める。国道135号線はこのバイパスは曲がりくねって、真鶴町や湯河原町を通過する。更に山の中上の方には旧道もある。

 神奈川県道路公社真鶴道路管理事務所真鶴料金所という長たらしい料金所を進み、300mほどのトンネルをくぐり、海に突き出た橋を進むと、1600m以上もある真鶴トンネルに入った。トンネルを出ると海岸淵を進み湯河原町の吉浜橋まで通称真鶴ブルーラインを走った。まだ雨も降っていなかったので海岸線も、水平線もハッキリしていた。


 1キロ足らずで熱海市に入り、国道135号線から有料の熱海海岸自動車道に門川インターから入った。ずっと海岸線を走り伊豆山温泉手前で弁天岩を左に見、小高い所にあるホテル水葉亭、そして熱海ビーチライン料金所、間もなく国道135線と合流し、お宮の松前などを通り東海岸交差点で一方通行の出口となり左に曲がった。海岸線に出て、糸川を渡り、

その先の初川の橋を渡り、一方通行になっている国際観光専門学校角を右に曲がった。中央町交差点で左に曲がり多田医院前を通過し、清水町商店街や、市役所前交差点も横切り、熱海市消防本部消防署、熱海市社会福祉協議会、中央公民館などの建物が続き、熱海総合庁舎入口交差点で右に曲がった左は熱海岡本ホテルで、急な敷地内を上るとホテルの入口が見えた。市役所角を右に曲がる。

 ここで降りる人が降りると、熱海岡本ホテル前で小休止、そして、暫くすると発車、右に曲がりニューフジヤホテル前から一気に海岸線の一方通行まで下り右に曲がって、初川に架かる橋を渡り国際観光専門学校手前を今度は左に曲がった。和田川を渡りホテル大野屋、サンレモ公園、熱海後楽園ホテルを過ぎると、山道となり熱海城への上り口や名称錦ヶ浦・ニューアカオネオンが木で覆われ暗さを増して、ネオンが煌めき、熱海城下を抜ける2つトンネルを抜けた。

 一気に道幅は狭くなり錦ヶ浦を通り過ぎた。雨は降り出したばかりで伊豆の海岸線の出入り具合はよく見えた。山の中腹から少しずつ下り上多賀の漁港そばを通り、大きな建物先の岸壁では釣りをしている姿も見えた。静まっている漁港には、レジャーボートも岸壁につながれ、赤根トンネルを出た辺りから雨が本格的に降り出し、それから熱川の岡本ホテルに着くまで雨は降り続いていた。海に飛び出すように建つエンゼルシーサイド南熱海が左に、そして上多賀の漁港を見ながら、民宿や会社の保養所が建ち並び、その先にある網代の町がよく見える。一気に海岸線に出てきた。小山臨海公園まで続いていた。

 公園を過ぎるとスカイリゾート南熱海、南あたみ第一病院、あじろ温泉、旅館大成館、網代観光ホテル、ホーユウシーサイドパレス南熱海などを過ぎ、107号線と合流すると、真赤な屋根の漁師小屋、網代の漁港や魚市場、網代港漁業協同組合があり、網代交差点を横断すると、ここから山側に入り新網代トンネルをくぐり出ると、また、海岸線になり網代バイパスになっていた。また、右にカーブして網代トンネルに入った。出ると海岸から少し高く離れた所を走り、会社の保養所や旅館やコテージなどは山腹から頂上に向かって散在している。左に三日月形にカーブして、その先では反対にカ-ブすると、伊東市クリーンセンターが左にあった。500mも行くとトンネルが相次ぎあり、宇佐美の町が一望できた。

 酷く右、左と何回もカーブして5キロも走ると海岸線出てきた。宇佐美留田の信号その先2つ目の信号は、スカイライン入口の3差路交差点。宇佐美駅入口交差点を過ぎ、600mも行くと旧道と合流し、JR伊東線と平行に走るようになり、やたらと干物店が目に入るようになってきた。そのうちに海岸に突き出たサンハトヤの白い建物が雨に霞み、そしてハッキリ見えるようになってきた。

 埋立地にはハトヤ大漁苑、湯川終末処理場、伊東マリンタウンシーサイドスパの施設や駐車場、ヨット係留などがある。東京レジャーライフクラブ伊東パウエルで、バイパスから旧道の135号線に入り伊東駅入口交差点を過ぎた。松川手前の大川交差点で右に曲がった。1キロも行った左に曲がった所に伊東岡本ホテルがあって、今日の昼食場所になっている。1時10分過ぎに到着し、予約してある弁当を7つ貰いロビー奥の食堂で生ビールも頼んで食べ終わる頃には出発時間になっていてバスに戻り、午後1時50分には出発した。

 来た道を市立西小学校前の信号を右折し、松川を渡り音無交差点で国道135号線に入った。左、右と90度ぐらい大きくカーブし、市立東小学校前を通り、もう一度右、左と90度を越すように大きくカーブし、またしても右とカーブすると、横断歩道橋の下を通り抜けた僅か2.4キロの間だった。緩やかなSの字カーブをし歩道橋下をくぐり、海岸回りをした135号線と殿山交差点で合流した。

 300mも行くと川奈口交差点で、左に2.5キロも海岸のほうに入ると、ほとんど5月に行なわれていたフジサンケイクラシック選手権は第9回(1981年5月7〜10日)〜第32回(2004年5月6日〜9日)まで行なわれていたが、今は人気の女子に取って代わられている。今年の
国内女子ツアー第
6戦は
静岡県伊東市の川奈ホテルゴルフコース富士コースで開催された。国内女子ツアーの最終日。サスペンデッドになっていた第2ラウンドの残りが早朝の7時から行われ、9時35分に全選手がホールアウト。続いて10時40分から決勝ラウンドが行われたが、13時8分に中断。競技が出来なくなるほどの強風だったため決勝ラウンドは中止となり、第2ラウンド終了時に首位だったタミー・ダーディン (オーストラリア)の初優勝が決まった。

だい第28回フジサンケイレディスクラシック
優勝 -7 タミー・ダーディン   7位 -1 三塚優子
2位 -4 申ジエ   8位 飯島茜
3位T -2 塩崎亜美   8位 福嶋晃子
3位T -2 前田久仁子   10位T +1 有村智恵
3位T -2 諸見里しのぶ   10位T +1 古閑美保
3位T -2 横峯さくら   10位T +1 黄 アルム(ファン・アルム)
        10位T +1 藤本 麻子





29th フジサンケイレディスクラシック29th フジサンケイレディスクラシック29th フジサンケイレディスクラシック29th フジサンケイレディスクラシック29th フジサンケイレ





東伊豆町

 東伊豆町の人々の起源を今に伝えるものとして、稲取ゴルフ場遺跡から発掘された十数個の細石器があり、これは、移動生活をしていた約1200013000年前の先土器時代の人々が狩猟などに使用したものと推測されています。その後、人々が集落を形成し定住をはじめたのは、縄文時代早期(約995006500年前)の頃です。

 竪穴状遺構や土坑が発見されており、その種類、量などからこの時代の貴重な遺跡や弥生時代には稲作農耕文化が稲取地区の細野遺跡や崎町遺跡から弥生式土器が出土されており、東伊豆町でもこの時期から稲作が行なわれていたことがわかる。

 源頼朝は、蛭ヶ小島(現韮山町)に流されたおり、伊東・川津といった伊豆の豪族と親交を結び、稲取の八幡神社にも参拝したと伝えられ、建久3年(1192)に鎌倉幕府を開くと、東伊豆と鎌倉の往来も盛んになり陸上交通が発展し、中継点として栄え、南北朝・室町時代には、紀州から来た鈴木一族によって管理されるようになった。

 江戸時代には、江戸城築城の際には、築城石として「伊豆石」を切り出し船で運搬、東伊豆町でも大川などから切り出された石が稲取港から江戸へ向けて出航、東伊豆町の支配は幕府から沼津藩主水野氏へと代わった。

 明治時代に入り、東伊豆町は韮山県から足柄県に、明治9年には静岡県に属するようになり、稲取村の村長を務めた田村又吉翁が大いに貢献した。町の発展に尽くした人物として木村弥吉翁があげられる。明治41年に旧城東村大川に移り「絹サヤエンドウ」の早生栽培に成功するとともに、熱川に旅館を建て全国有数の観光地に、昭和になって北川温泉、稲取温泉が発見され、東伊豆町は、昭和34年に稲取町と城東村が合併して現在の東伊豆町が誕生。

東伊豆町の概要
 伊豆半島東海岸の中央に位置し、東南は相模灘に面し、東北は伊東市赤沢に面ての万二郎・万三郎岳を
境に伊豆市に接し、南西は河津町に接す。地形は主として丘陵をなし、海に面していくつかの平地が点し、
町のほぼ中央には白田川が東南に流れ、町を二分し、鉄道は伊豆急行が海岸沿いに走り、道路は国道135号線が同じく海岸線を通っている。  
 伊豆半島東海岸の中央に位置し、豊かな温泉が湧出する大川・北川・熱川・片瀬・白田・稲取の6つの温泉郷、夏涼しく、冬暖かい穏
やかな気候のもと、ゴルフやパラグライダー、ダイビングなどのスポーツも盛んに行われ、みかんやわさびなどの農産物、金目鯛や伊勢えびなどの海産物、日々彩りを変える山々、自然の恵みにあふれている。
東西 15.04km  

 

南北 13.78km
総面積 77.83ku
人口 15,165人
世帯数 5,959世帯
町の花:イソブキ 正式名『石蕗-ツワブキ』葉が艶のあるフキに似ている
様から「艶ブキ」となり、「ツワブキ」となったらしい。
町の木:早咲き桜 正式名『石蕗-ツワブキ』葉が艶のあるフキに似ている
様から「艶ブキ」となり、「ツワブキ」となったらしい。
姉妹都市 長野県岡谷市(昭和11年平野村から岡谷市と市制変更)

熱川

 
温暖な気候に恵まれた伊豆半島東海岸の中央に位置し、豊な温泉が湧出する大川・北川・熱川・片瀬・白田・稲取の6つの温泉郷を擁し、江戸城を築城したことでも有名な太田道灌ゆかりの温泉が、伊豆を代表する温泉地、ここ熱川温泉郷。

 いつ訪れても熱い湯けむりをあげる噴湯や櫓が、温泉地としての雰囲気を盛り上げています。江戸城の築城で有名な太田道灌が、怪我をいやす猿の湯浴みを見て発見した湯が発祥と 伝えられ、熱川発展の功によって太田道灌の像も建立。

 
海沿いまで山が突き出た狭地に19軒の旅館ホテルが存在する。熱川の源泉温度はほぼ
100℃であることから、源泉井の上部からは湯気が多く出ており、湯煙に包まれた温泉街の光景を形成している。

 熱川高磯の湯  

 1994年11月に完成した熱川でいちばん新しい公共の露天風呂「高磯の湯」は、熱川の立地を生かした海沿いの温泉。眺めと広さが自慢の湯船から遠く太平洋を遠望すれば、体からも心からもすっきりと力がぬけて、自然体の自分に帰れる。

熱川高磯の湯
入浴料 通常料金
入浴料 夏季料金  
大人700円
大人800円
小人350円
小人400円  

※夏季はプールと併用

●入浴時間 9時30分〜17時
●泉質 含石膏弱塩泉・含重曹食塩泉
●効果 内臓疾患・皮膚病・神経痛・リューマチ  


大川温泉

 山と海に囲まれた、海岸沿いの狭い土地に数軒の旅館、ホテルが存在する。共同浴場は漁港端の露天風呂の磯の湯がある。また、駅前には足湯が存在する。

 大川温泉の目印は、海辺にねそべって太平洋に咆哮 しているかのような「ライオン岩」。東伊豆町でも一、二を争う奇岩として有名なスポットです。そのほかにも、海水浴やマリンレジャー、釣りも楽しめれば、咲き乱れる花々や名水に触れられる「花の散歩道」や「竹ヶ沢公園」、大川川の渓谷美など、山々の自然も満喫できる。

 竹ヶ沢公園は、2kmほど川に沿った所にあるこの公園は明治からあった旧家の庭園を修復、整備した静かな公園です。園内には樹木に囲まれた池や東屋があり、とても風情がある場所です。6月初旬にはホタル祭りも行われ
る。

北川温泉
 露天風呂黒根岩風呂、北川の海辺の公共温泉。水平線と同じ目線で湯につかる極楽がゆっくりと満喫でき、時には湯舟に波しぶきが飛び込んでくることも…。だだしここは混浴でしかも水着の着用は禁止。女性が思い切り楽しむのはちょっと難しいものがあるかもしれない。でもそこはそれ、そんな女性たちのために「女性専用タイム」が設定されている。

片瀬温泉
 白田川の北側に広がる片瀬温泉は、旨い磯料理と温泉の豊富な湯量が自慢で、海で遊んだあと、ゆっくりと湯につっかたあとは、海岸ぞいの風に吹かれながら「はりつけの松」 のある海岸公園

 その昔、身分の離れた恋仲の二人がこの松の下で身分差を書かれた龍淵院の戸籍を焼き自らも海の藻屑と消えたという恋の話が残る場所。以来、いつの日からか、この松の「まつぼっくり」を恋愛や夫婦円満のお守りとして待ち帰る人が後を立たない。

白田温泉
 白田温泉は白田川の南側にある静かで素朴などこか懐かしい情緒が漂う温泉地です。豊かな自然に囲まれ、様々なスポーツが楽しめる施設もあり、街を歩けば、そのどこか懐かしさ漂う風景に、ゆったりと落ちつ
く。

 白田温泉と片瀬温泉を分けて流れる白田川は、伊豆東海岸でも数少ないアユの釣り場で、例年6月1日の解禁にあわせて腕自慢達が釣果を競い、上流ではマス釣りもでき、家族連れにも人気のスポットとなっている。上流をたどれば「ウスタバの滝」が美しい渓谷美をたたえている。

稲取温泉
 稲取の最大の魅力は、何といっても温泉情緒で、温泉といっても色々あるが、稲取の温泉はそのロケーションが、ひと味ちがう。遠く伊豆大島を望む風光明媚を、からだ全体で味わえるようなそんな実感。伊豆の温暖な気候の中で、潮風を感じ、自然とともにある。この場所にしかない幸福のひととき。そんなことを考えながら、ゆったりと時間が広がっていく。

 稲取の町をあげて行われるにぎやかな祭り。どんつく神社に奉納されている3mもある男性シンボルの形のご神体の御輿(みこし)を、女性たちが担いで町の中を練り歩く。夫婦和合、子孫繁栄を願うもの。どん太鼓、海上パレード、花火大会など多彩な催し物も行われる。

 稲取は東伊豆町随一の漁港をもつ温泉地。ここに水揚げされる魚介類はその味で日本一を誇る金目鯛をはじめ、伊勢エビ、アワビ、アジ、サバ、などバラエティ豊か。


●温泉の泉質

  ※塩化物泉


 食塩の形で温泉水中に存在することがおおい。食塩系の塩化物泉は体が温まりやすく湯冷めしにくいという特徴を持つ。旧泉質名では食塩泉と呼ばれ、新泉質名ではナトリウム-塩化物泉と呼ばれる。また他の溶存物質の種類により、様々な派生の形(含芒硝、含重曹、含土類など)が存在する

 
※硫酸塩泉

 アルカリ金属・アルカリ土類金属の塩酸塩を主成分としていることからこの名称が付いている。俗に薬効が高いと言われる。





日本仮面歴史館

 世界の仮面劇で、一千年後に残る仮面劇は、日本の能楽であると、世界の人が認めております。しかし、能楽に使用されている仮面群は、日本の仮面史の中では一番新しい。 
 仮面の発祥は、西洋も東洋も神や精霊を具像化したものだと伝えられ多くの種類の面があり、また、仮面史を綴れる世界的に珍しい国
です。

 日本の仮面史は、縄文時代にシャーマニズムから生まれた仮面、また、外国から伝えられた、伎楽面、舞楽面、行道、追灘面、田楽や神楽、狂言、能面と変化を通して現在に至りそこからは、日本の精神の高さを伺うことができ
 ギリシャでは、仮面はペルソナといい、顔はその人そのもの・・・。その時代の心の動きや、想像力の豊かさに、おどろか
される。

 東伊豆町の人々の起源を今に伝えるものとして、稲取ゴルフ場遺跡から発掘された十数個の細石器があり、これは、移動生活をしていた約1200013000年前の先土器時代の人々が狩猟などに使用したものと推測されています。その後、人々が集落を形成し定住をはじめたのは、縄文時代早期(約995006500年前)の頃です。

 竪穴状遺構や土坑が発見されており、その種類、量などからこの時代の貴重な遺跡や弥生時代には稲作農耕文化が稲取地区の細野遺跡や崎町遺跡から弥生式土器が出土されており、東伊豆町でもこの時期から稲作が行なわれていたことがわかる。

 源頼朝は、蛭ヶ小島(現韮山町)に流されたおり、伊東・川津といった伊豆の豪族と親交を結び、稲取の八幡神社にも参拝したと伝えられ、建久三年(1192)に鎌倉幕府を開くと、東伊豆と鎌倉の往来も盛んになり陸上交通が発展し、中継点として栄え、南北朝・室町時代には、紀州から来た鈴木一族によって管理されるようになった。

 江戸時代には、江戸城築城の際には、築城石として「伊豆石」を切り出し船で運搬、東伊豆町でも大川などから切り出された石が稲取港から江戸へ向けて出航、東伊豆町の支配は幕府から沼津藩主水野氏へと代わった。

 明治時代に入り、東伊豆町は韮山県から足柄県に、明治9年には静岡県に属するようになり、稲取村の村長を務めた田村又吉翁が大いに貢献した。町の発展に尽くした人物として木村弥吉翁があげられる。明治41年に旧城東村大川に移り「絹サヤエンドウ」の早生栽培に成功するとともに、熱川に旅館を建て全国有数の観光地に、昭和になって北川温泉、稲取温泉が発見され、東伊豆町は、昭和34年に稲取町と城東村が合併して現在の東伊豆町が誕生。

 海沿いまで山が突き出た狭地に19軒の旅館ホテルが存在する。熱川の源泉温度はほぼ100℃であることから、源泉井の上部からは湯気が多く出ており、湯煙に包まれた温泉街の光景を形成している。

 温暖な気候に恵まれた伊豆半島東海岸の中央に位置し、豊な温泉が湧出する大川・北川・熱川・片瀬・白田・稲取の6つの温泉郷を擁し、江戸城を築城したことでも有名な太田道灌ゆかりの温泉が、伊豆を代表する温泉地、ここ熱川温泉郷。

 いつ訪れても熱い湯けむりをあげる噴湯や櫓が、温泉地としての雰囲気を盛り上げています。江戸城の築城で有名な太田道灌が、怪我をいやす猿の湯浴みを見て発見した湯が発祥と 伝えられ、熱川発展の功によって太田道灌の像も建立。






主な土産品
みかんワイン
 もぎたての地元産のみかんを使った手作りワインで、特に女性に人気があります。伊豆半島の酒屋さんで購入できます。
ヘラヘラ餅
伊豆から江戸城築城の石が運ばれていた頃、名主宅で殿様が食し、大変喜んだことからへらへら餅と名付けられました。農漁家でおやつとして食べていたものが郷土名物になったものです
げんなり寿司
 祝事の風習でふるまわれ、形が大きくすぐ腹一杯になってしまい"げんなりする“という方言から名がついた漁村の郷土料理






熱川バナナワニ園

本園 分園
1号温室 熱帯花木 1号温室  
2号温室 熱帯シダ 2号温室 バナナ
3号温室 食虫植物 3・4号室 熱帯果樹
4号温室 ブロメリア(ティランジアなどのパイナップル科植物) 4号温室 パパイヤ
5号温室 カトレア 5号温室 香辛・香料
6号温室 観葉植物 6号温室 ベコニア
7号温室 熱帯性スイレン    
8号温室 原種ラン - 60品種あまりを、温度調節によって
年中開花した姿を見ることができるようにされている
   

伊豆の熱川温泉にある動植物園。1958年9月22日に開園。1971年9月1日には分園が開園している。2008年に、ワニ園の改修工事が行なわれ、全体を覆う屋根ができたほか、ワニを横や下から観察できるようになった。

 伊豆熱川駅前の本園と、送迎バスで行く分園からなる。温泉の熱を利用して、ワニの飼育や熱帯植物の栽培を行なっている。飼育しているワニの種類では世界一で、22種約200頭が飼育されている。また、栽培されている熱帯植物は約9000種である。このほか、日本で唯一、ニシレッサーパンダの飼育・繁殖を行なっている。