指宿

 薩摩半島の最南端、鹿児島湾口に位置する東は錦江湾を隔てて大隅半島と対峙し、北は県都・鹿児島市、西は畑作地帯が広がる頴娃町と隣接し、南は東シナ海に臨み、風光明媚。中央部には九州一の大きさを誇る池田湖、南西部には標高924mの薩摩富士の別名で呼ばれる秀峰開聞岳、南部には南国ムード漂う長崎鼻、東部には潮の干満で陸続きになる、知林ヶ島を有する。

指宿市の位置

 
平成18年8月1日
市制:昭和29年4月
(明治22年町村制施行から)指宿村
市章:未来へ羽ばたくツマベニ蝶と開聞岳・3本線は旧3市町の融和と温泉
位置:薩摩半島の最南端鹿児島湾口 面積:149.01 ku
人口:45,533人 (10月1日現在)
  (男・20,584人、女・24,949人)
世帯数:19,743戸
市の木:ツゲ・キョボク 市の花:ハイビスカス・菜の花
市の鳥:メジロ 市の魚:かつお
市の蝶:ツマベニチョウ 海抜:
◎極 東 知林ヶ島 130゜40′54″、31゜16′38″
◎極 西 開聞十町田ノ崎 130゜30′21″、31゜10′41″
◎極 南 山川岡児ヶ水長崎鼻 130゜35′13″、31゜09′18″
◎極 北 小牧瀬崎 130゜35′02″、31゜18′15″

 平成18年1月1日 指宿市・山川町・開門町の3市町が合併し新指宿市となる。




知覧武家屋敷群

 武家屋敷群18.6haは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、また7つの庭園は「名勝」として国の文化財に指定されている。

 島津藩政時代に113築かれたといわれる外城の一つで、どの家も石垣や端正に手入れされた生垣のある庭園を持ち、母ヶ岳を借景に自然をよく取り入れ、町並み全体が箱庭のような趣がある。

 江戸時代の知覧は当初、島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていた。佐多氏には優れた当主が多く出て、薩摩藩の中でも重要な役目を果たした。その功績によって佐多氏16代久達の時代に、知覧の私領地化と島津姓の使用が許された。

 現在残る武家屋敷群は、佐多氏16代島津久達(1651〜1719)の時代もしくは、佐多氏18代島津久峯(1732〜1772)の時代に造られたものではないかとされている。地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄に良く見られる石敢當(魔よけの石碑)や、屋敷入口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)がある。知覧の港が江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから、武家屋敷も琉球の影響を多く受けているようです。

 



砂風呂
★温泉が地下を海岸に向かって流れ出しており、その温泉で温められた砂を利用。
★温泉の温度が80℃〜90℃と高温のため潮が引いていく時には、湯煙が立ち上がり、幻想的。
  温泉の水路(みずみち)ができます。素足で入ると火傷するので注。
★潮位の差が大きい大潮の干潮時に行いますが、砂が乾くまで、約1時間を要す。
  その時の潮位状況によって時間帯も変動する。
★時季については、真夏の日中(外気温30℃以上になり、砂が焼けている)や冬場の寒さが厳し  く、北風が強い時や雨の時以外は使用でる。
★入浴時間は個人差があり、約10分が適当(全天候型砂むし場でも同じ)で、時計がいくつか設  置してある。(場所によって見にくい可能性もあり)。
★起き上がる時は、両腕を出し、胸とお腹の砂をとって起き上がる。
  ※その時に砂をはたかない。寝ている人に砂が飛び迷惑になる。
★使用時間:約2時間〜3時間・最大約200名収容。
★満潮時や雨、状況の悪い時は、全天候型砂むし場で行う。(最大100名収容)。

 



長崎鼻

 黒潮洗う青い海に突き出した長崎鼻の突端には白い灯台が立ち、波しぶき、青い海と空、西方にそびえる雄大な秀峰開聞岳と、岩礁に砕け散る白い波しぶきの眺めに時を忘れてしまう。薩摩半島の最南端に突き出た岬、長崎鼻。浦島太郎が竜宮へ旅立った岬といい伝えられ「竜宮鼻」の別名を持ち、乙姫様を祭った竜宮神社もあり、またその名にふさわしく、夏はウミガメの産卵地。

開聞岳

 開聞岳は、整った山頂となだらかな稜線が見事で、周辺に山がないため、南薩のほとんどの地域からその円錐形の姿を見ることができ、まさにシンボルというにふさわしい美しさ。

 



@池田湖

 池田湖は、約5500年前の火山活動によってできた周囲15km、水深233mの九州最大の湖です。湖水は藍色に澄み、薩摩富士と呼ばれる開聞岳が望める。

 ほぼ同時期に山川湾、成川盆地、鰻池、池底、松ヶ窪などの地形も形成されており、これらの噴火口群とともに池田・山川としてランクCの活火山に指定されている。

 古くは開聞の御池または神の御池と呼ばれており龍神伝説がある[。開聞岳の噴出と池田湖の陥没が連動して起きたという俗説があるが、地質学的観点では両者の活動時期に1000年以上の時間差があり、池田カルデラの大きさに見合う火山噴出物(池田湖テフラ)が周辺の地層に残されていることなどから、直接的な因果関係はないとされている。

カルデラ(caldera)とは、火山の活動によってできた大きな凹地のこと。初めて、カルデラが研究されたカナリア諸島での現地名による。

 カルデラに関連する地形

1・カルデラ湖(箱根山の芦ノ湖や十和田湖)。

2・中央火口丘(阿蘇中岳や箱根駒ヶ岳)や(有珠山は洞爺カルデラの外側)。
3・カルデラ盆地(加久藤盆地)。
4・外輪山(榛名カルデラ、屈斜路カルデラ、阿蘇カルデラ)。


 ●阿蘇山(あそさん)は、熊本県の東部に位置する活火山。世界最大級のカルデラ(火山の活動によってできた大きな凹地)と雄大な外輪山を持ち、「火の国」熊本のシンボル的な存在として親しまれている。

 地下から大量の火砕流や火山灰を放出したため、巨大な窪地(カルデラ)が形成された。その中でも4回目の噴火 (Aso4) が最も大きく、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越え山口県にまで達し、火山灰は北海道に至る日本全土の他朝鮮半島でも確認されている。

 
的石伝説阿蘇市的石の地名の語源でもある“的石”は北外輪山のふもとにある石で、その昔、阿蘇神社の祭神である健磐龍命(阿蘇大明神)が阿蘇五岳の外れにある往生岳(往生岳は五岳に含まれない)から弓の稽古をする時に的にしたという伝説からこの名がつけられている。ちなみに往生岳山頂から的石までは約7kmほどの距離となっている

 健磐龍命の従者で鬼八という足の速い男が99回目までは鬼八も的石と往生岳を往復して矢を運んでいたが、100回目に疲れて的石から往生岳めがけ矢を投げ返した。矢が健磐龍命の腿に当たり、それに腹を立てた健磐龍命は鬼八を成敗しようとした。鬼八は阿蘇中を逃げ回り、更に阿蘇の外まで逃げ、そこで一息ついて八回屁をひったといわれその場所の地名である矢部の語源になったといわれる。

 
アメリカ合衆国アラスカ州にあるアニアクチャク火山カルデラは直径10km。活火山のアリューシャン列島に位置し、火山活動によりできた溶岩流、噴石丘、噴火穴などがクレーター内に見られ、カルデラ内にあるサプライズ・レイクはアニアクチャク川の水源となり、1,500 ft(45,720m)の溝にカルデラ壁を滝のように流れ、最近の噴火は1931年に起こっています。直径約6マイル(約9.6キロ)、広さは約数10平方マイル、世界でも珍しい乾いたカルデラとなっている。

 ●ピナトゥボ山 1,486 m。フィリピンのルソン島にある火山。1991年に20世紀における最大規模の大噴火を引き起こしている。噴火以前に1,745mだった標高は、噴火後に1486mまで低くなっている。

 1991年までは、ひどく浸蝕を受けた目立たない山だった。密林が山を覆い、先住民アエタ族の数千もの人口を支えていた。アエタ族は、1565年にスペインがフィリピンを征服したときに、低地から山へ逃がれた人々である。

 1991年6月の噴火は500年振りに起きたもので、その規模と激しさは20世紀最大級だった。だが、噴火のピークを事前に予測することに成功して、周辺地域から数万人を避難させ多くの人命が救われた。

 1883年のクラカタウ噴火以来の大量のエアロゾルが成層圏に放出され、全地球規模の硫酸エアロゾル層を形成し何ヶ月も残留し、地球の気温が約0.5℃下がり、オゾン層の破壊も著しく進んだ。

テフラ(英:tephra、ギリシャ語:τέφραギリシャ語で「灰」の意)とはソラリンソンによって定義された語で、火山灰・軽石・スコリア・火砕流堆積物・火砕サージ堆積物などの総称。





焼酎


杜氏の里

 黒瀬集落の男たちは焼酎醸造の技術を伝承し各地に赴いて活躍、黒瀬杜氏と呼ばれました。技術を受け継いだ黒瀬杜氏は、現在でも各地で焼酎造りに携わっています。その黒瀬杜氏の伝統技術を文化的遺産として保存・継承し、焼酎を通して文化やこころ、技を広く伝え、伝統技術を後世に残すためにつくられた。

薩摩酒造

 本格焼酎づくりの伝統を継承する南薩摩で、焼酎文化を伝える資料館として生まれた「明治蔵」は、その名の通り明治の頃より続く焼酎蔵。代々受け継がれた昔ながらの木桶の蒸留器やかめ壷仕込みなど、伝統の焼酎の製造風景や海外の蒸留器などのほか、歴史・食など焼酎文化あれこれをさまざまな方向から紹介。江戸中期や明治時代の焼酎などの復元にも成功し、仕込みの作業などを直接現場に入って見学できたり、試飲コーナーではサツマイモの品種別に造ったオリジナル焼酎などが楽しめる。



姉妹都市

熊本県 人吉市

 面積約210.52ku・人口約38,000人、九州の小京都とも呼ばれ、鎌倉幕府の地頭として相良氏が入国して以来の城下町。

 日本三大急流の一つ「球磨川」が流れるまちとして、多くの観光客が訪れている。

北海道 千歳市

 面積594.95ku・人口約92,000人、北の玄関である新千歳空港を中心にして、鉄道・高速自動車道が緊密に連絡する交通拠点都市。

 アイヌ語の「シコツ(大きな窪地)」と、多くの鶴がいたことから、1805年「鶴は千年」の故事にちなんで「千歳」と命名。

オーストラリア ロックハンプトン市

 面積約187ku・人口約60,000人、南回帰線直下にあるオーストラリア第2の州であるクイーンズランド州の東岸中央。

 交通の要所として発展し、3万5千トン船が停泊できるポートアルマ港・国内空路・鉄道中央線の起点・国道1号線などがあり、州中部における中心地。