羽田



穴守稲荷神社
   御祭神  豊受姫命

   御由緒

 社伝にいう。文化元年の頃(1804年頃)鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。ここにおいて村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。これ実に当社の草創なり。爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。

 その穴守を称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまして、衣食住の三要を守り給える最も尊き大神なり。吾等一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなく、実に神徳広大なり。

 殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。参拝の大衆日夜多く境内踵を接する如く社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及べり。

 然るに昭和二十年八月終戦にのぞみ、敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去を命ぜられた。同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。現在地(大田区羽田五丁目2番)に遷座せり。

 爾来崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、目下境内整備を実施中にて、漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第なり。 (
本殿・拝殿・社務所・神楽殿・奥の宮・築山・納札所・神輿庫・手水舎・狐塚)。

羽田空港

 羽田の再拡張には7000億円にも上る、巨額の費用がかかり、4本目の滑走路が完成すれば、羽田の発着容量は現在の約1.4倍に増加、年間28万回から41万回の発着が可能になる。

 羽田空港全体の利用者も平成24年には7300万人に達すると予想され、経済効果はなんと2兆円、雇用増は18万人。3つの工法が検討されいる。
  @水の流れを妨げないよう、桟橋の上に作る工法。
  A河口の正面にあたる部分を桟橋方式にしそれ以外の部分を埋立てる桟橋・埋立併用工法。
  Bタンカーの数百倍の大きさを持つ浮体(フロート)を浮かべその上に滑走路を作るメガフロート工法。
 世紀の大プロジェクトのコスト縮減にも取り組み、設計・施工一括発注方式によってトータルで一番安い形で発注し、経済の活性化、国際競争力を確保、拠点空港として、大きな役目を果たす事が出来るだろう。

 再拡張後の羽田空港から国際線が就航するといっても、一日41便のみの運行であり、行くことができる都市は、釜山・ソウル・上海などに限られ、北京・台北・香港等には行けず、国が現時点で考えている羽田空港再国際化。

 羽田空港は1931年(昭和6年)8月、面積53haに延長300m、幅15m滑走路1本を設けて開港した、わが国初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」からその歴史が始まる。
1938年から1939年(昭和13年から14年)にかけては最初の拡張工事が行われ、延長800m、幅80mの滑走路が2本整備され、終戦後、進駐軍に接収された「ハネダエアベース」の時代を1958年(昭和33年)7月に全面返還をもって終え(1952年[昭和27年]には大部分の施設が返還され、現在の東京国際空港の呼称となる)、この間においても滑走路・誘導路・エプロン等の延長、拡張が行われて、航空機のジェット化が急速に進展する中で、さらに滑走路を始めとする空港施設の規模拡充が行われ、1964年から1971年(昭和39年から46年)にかけ、3本の滑走路を有する羽田空港の原形ができ上がった。

A滑走路(RWY16R/34L)

 羽田空港で一番多摩川寄りにあるのがA滑走路。冬の北風の季節はRWY34Lが着陸用として、夏の南風の季節はRWY16Rが離陸用として良く使われ、A滑走路はC滑走路に比べて陸地に近いので騒音問題が発生しやすく、飛行機を海上を飛ばすようにするため、RWY34Lを離陸用として使うこともある。朝の離陸機が集中する時間帯に少しの飛行機が使用し、大田区、川崎市の上空を飛行する。

B滑走路(RWY04/22)

 B滑走路は横風用の滑走路。強い南西の風のときは、着陸用としてRWY22が使われ、ごくまれに離陸用としてプロペラ機がRWY04を使うことがある。離陸用としてRWY22を使うこと、着陸用としてRWY04を使うことは、川崎市の工業地帯の上空を飛行することになるので、通常はない。

C滑走路(RWY16L/34R)

 羽田空港で一番海側にあるのがC滑走路。A滑走路とペアで使われることが多く、北風のときは離陸用としてRWY34Rが、南風のときは着陸用としてRWY16Lが良く使われる。南西の風で、着陸用としてRWY22を使っているときは、離陸用としてRWY16Lを使う。

D滑走路

 4本目の滑走路となるD滑走路の建設に向けて,地盤改良工事が本格化する羽田空港。大手建設会社を含む15社のJV(共同企業体)が約6000億円で受注したビッグプロジェクトだ。工事を一望できる展望台がある。「開設日:月曜日〜金曜日(土日祭日は除く)」の張り紙。

天空橋駅(京急・モノレール)

 京浜急行電鉄・東京モノレールとも相対式ホーム2面2線の地下駅。羽田空港敷地内の地下に位置する。両線とも「羽田」を名乗っていたが、京急羽田空港駅の開業に伴い、旅客ターミナルであるとの勘違いを避けるため「天空橋」に変更された。

 京急は1991年に一旦営業休止する以前の当駅前身である「羽田空港駅」は、現在の駅から見て約200m蒲田駅方向の穴守稲荷駅〜天空橋駅間(海老取川の対岸付近、大田区羽田5丁目)に位置する地上駅で、羽田空港が沖合に移転する以前の旧空港ターミナルへのアクセス駅とされた。

 駅から旧空港ターミナルビルまでは開業時はバス連絡もなく、また駅前にはタクシーもいないため、弁天橋のバス通りまで歩いてタクシーを拾うか、蒲田駅発や大森駅発のバスが来るバス停(空港入口バス停 蒲31系統または蒲41系統など)まで歩いた。


 1993年の空港島再乗り入れで、現在の位置に移転し「羽田駅」と改称した。それ以前に比べると空港アクセスの手段として格段に利便性が増したが、当駅からモノレール線に乗り換える必要があったため、運賃・所要時間とも勝負にならず、混雑するモノレールを嫌って乗り換える乗客が少しいる程度であった。

 
東京モノレール当駅も京急の天空橋駅と同じく、羽田空港ターミナルビルの沖合移転に伴うモノレール線の延伸以前に存在した旧羽田駅を移設・改称したものである。移設・改称する以前はモノレール線の終点であり、沖合移転前の羽田空港旅客ターミナル内に設置された空港連絡駅であった。

 天空橋駅は、羽田空港ターミナルビルの沖合移転に伴う空港線の延伸以前に存在した旧羽田空港駅を、空港線の地下延伸路線上に地下化移転した上で改称したものである。移設・名称変更する以前は空港線の終点だった。

都タナゴ

 体長は40
mm前後、タナゴ類の中では小型で、1対の口ひげが特徴。オスの婚姻色は独特で、頭部と背中は青紫、側面は紫、胸腹部は朱色、背ビレは白色、腹ビレと尻ビレは基部から縁辺へと淡黒→白→朱→黒と帯状に染まる。

 湧水のある河川の支流や湧水池に閉鎖的に生息し、ミヤコタナゴが生息する水路部分の多くは、古くから水田の用水路として利用され、維持され、タナゴ類全般に共通し、生息域が狭いこと、移動性が小さく定着性が高いことから、環境改変の影響を受けやすい。

 かつては関東地方に広く分布する「ごく普通の魚」で、河川改修工事や圃場整備事業、休耕田化、都市化にともなう生息環境の荒廃などによってその生息域が激減し、現在では、羽田をはじめとする数ヶ所でしか自然状態での生息が確認されていない。
 ミヤコタナゴは、地域によって、ベンタナ(群馬県城沼)、ナナイロ(♂)・シランチョ(♀)(埼玉県所沢)、ミョーブタ(千葉県小浜)、ジョンピー(千葉県勝浦)、オシャラクブナ(栃木県大田原)などと呼ばれている。

羽田神社
   御祭神  須佐之男命・稲田姫命

  
御由緒

 羽田総鎮守・羽田神社は、羽田の「氏神様」として羽田全域から現羽田空港まで広くを有する。殊に航空会社各位の崇敬の念も篤く、正月から年間を通じて運行安全・航空安全祈願の参詣がある。
 また、文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。将軍・徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気平癒を祈願する参拝客も多い。
 その由来は約800年前の鎌倉時代、羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎が牛頭天王を祀った事からとされる。今日でも、羽田神社を「てんのうさん」と親しみを込めて呼ぶ人がいるのは、その名残である。徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰された。
 明治元年(1869年)、自性院境内に祀られていた牛頭天王社は八雲神社として独立、明治40年に羽田神社と改称、現代に至る。
 昭和63年5月新社殿が竣工、平成18年3月お塗り替え工事終了。尚一層の神慮が深まり霊験あらたかな御社として氏子を見守っている。
 明治初年に造られた「羽田富士」も見どころの一つ。富士山に憧れた当時の人々が、その姿を模倣して造った築山で、大田区文化財に指定されている。





便
アスビタカンベ 遊びたいだろう
アッタンベジャ あったよ
アンドロバァー あいつ
イケシャーシャー 平然
ウッチャットケ 放っておけ
オセール 教える
カックラウ 食らう
クッチャベル お喋り
シッテンベジャ 知ってる
シャッチョコバル 緊張して固くなる
チョイチョイギ いつもより少し上の着物
ナグタモン 怠け者
メッカル 見つかる