伊香保温泉
(伊香保温泉と榛名湖遊覧)
平成13年11月10(土)〜11日(日)



 今年は9月に入るとガゼン世界中が騒々しくなった。1日には新宿の雑居ビルの火災に始まり、11日にはアメリカのニューヨークでは2棟の、国際貿易センター(600m四方の巨大ビル)が、アルカイダを率いるビンラーディンによるハイジャックされたジャンボ旅客機が、相次いで激突して炎上、崩壊し6千とも、7千ともいわれる死傷者の人達が、犠牲になり世界各国はテロ撲滅に立ち上がりました。

 10月に入ると、アメリカはアフガニスタン(ビンラーディンが潜んでいると見て)の空爆に踏み切り、イギリスも即参加し、すぐに制空権を支配し、月末には地上軍も加わった。

 日本では、これまで絶対にないといわれていた狂牛病が、千葉県の白井市で発生し大騒ぎになった。その後も陽性だ陰性だと話題になったが今の所落ち着いている。

 11月に入ってもアフガニスタンを実効支配しているタリバン政権との戦闘はいまだに続いている。

 この会の旅行計画も9月に入るとすぐに旅行会社に申し込みに行き、行き先、ホテルはすぐに決めることができましたが、その後起きた事件により俄然、海外旅行計画を取り止めにする人が、国内旅行に振り替える人が多くなり、旅行会社から予定したJRの切符が揃い番号で取れないとの連絡があり、やむなく時間を変えてやっと買い求めることが出来ました。

 出かける1週間前には買物も済ませて、無事に当日の朝を迎えました。起きると嫌な雨が、かなり激しく降っていましたが、そこへ、山下さんが奥さんの体調が優れず病院で診察の結果、こじらしてしまった風邪で急きょ欠席するとの申し出があり、久しぶりに全員参加という楽しみにしていた旅行が寂しくなった。それでも気を取りなおしていると、昼頃には運良く上がり、会長宅前に集まり10名で出発。

 まず1台目には3名、2台目も3名、3台目は4名が乗り、タクシーでJR上野駅に向った。同じコースを走ったのだが、2020円、2100円、2180円とばらばらだった。30分もかからず到着した。早くついたので3階に上がり喫茶室でコーヒーを飲んで時間つぶしをしてホームに行くと、もう水上5号には乗客が、どんどん乗りこんでいた。

我々は座席指定なので悠々とホームを歩いて行った。座席につくと、私はあわてて特急の改札口まで走り、列車の写真を取りに行き、急いでもどった。


 まもなく列車は走り出した。座席を回して座り用意した飲物やおつまみを1人1人に渡し、みんなも、待ってましたとばかり一斉にビールや日本酒や焼酎やジュースを飲み始めた。
 
 赤羽、浦和、大宮と進み、やっと一息入れた。空はまだ雲っていたが、なんとなく良い方へ向っているような気がしてきた。

 昼過ぎの出発だったので、昼食は各自の自宅で済ませてきたので列車の中では酒を飲んで、駄弁っていたが、次から次えと話が弾み、また酒も手伝い、まじめな話(アメリカの同時テロ、からアフガニスタン、狂牛病などや、エロ話と幅広く、お面白お化しく、騒いでいる内に渋川駅に付いた。

 駅前から3台のタクシーに分乗(ココではタクシー台が共に3620円だった)して午後4時半に森秋旅館に着き、フロントに旅行社から受け取った書類をみせ、あれやこれや話をして、現金はその場で預けて部屋に案内してもらった。今日の宿泊客は350名だそうだで、明日はもと多く400名だそうです。聞くところによると海外旅行をキャンセルして国内旅行にシフトしているそうで旅館では最近、こんなに多勢の人とが、押し寄せるのは久しぶりだとの話しでした。

 この宿は玄関が5階に在り、我々は1階の部屋だったが、何となく帰るまで頭の中は、混乱していているような気がしていたが、それは私だけかもしれなかった。

 浴衣に着替えると、まず階段で2階に上がり、左側の露天風呂へ行き夕焼け空を眺めながら湯に浸かり、湯船のそばのたった一本のもみじが見事に紅葉し、暫し眺めていたが、やがて5,6人の30代後半ぐらいの男たちが入って気が、しばらくすると隣りの女湯のほうに声をかけたり名前を呼ぶと返事が返って来たりと大変賑やかだった。聞くと地元の前橋三中の同窓会の一泊旅行だという事で納得した。

 浴衣を着て廊下に出ると反対側の大浴場へも行って見た。お湯は赤茶けた色をしていた。すこし浸かって出ると、それまで気がつかなかったがタオルがチョット黄色くなっていた。

 部屋に戻ると、先に風呂からあがって一杯飲んでいるナカマに入り、グラスを一気に飲み干した。こんなことは久しぶりだった。

 早いもんで夕食の時間だと中居さんが知らせに来たので、一緒に会場まで案内してもらい、全員揃った所で、インスタントカメラで記念写真を撮ったところで、会長の挨拶、乾杯をして、何時もながらの宴会が始まった。

 今回は若いピチピチ、コンパニオン3名を呼んだので最初はおしゃべりをしていたが、カラオケを始めるとダンスをしたりと、大変盛り上がり、何時までも途切れなく続いた。

 終わり近くなるとコンパニオンのリーダーから2次会のアプローチがあったが、今回は初めから部屋での飲み会にすると決めていたのでお断りした。

 旅館に着いた時からズット聞えていたのが竹久夢二や野口雨情が定宿として愛されましたと在るだけあって、関係する曲が流れていて、全館何処にいても聞え非常に気分が落ち着いたし初めての経験だった。宴会場から部屋にかえる時も、風呂に入っているときも、何と心地よかったことか。

 部屋でも冷蔵庫の酒、ビール宴会で残った焼酎も飲み干し、何となくお開きと成り、寝る前に風呂に入り、一気に朝までグッスリと寝こんだ。

 朝は7時過ぎに目が醒めた。窓を開け新鮮な空気を吸い、思っていたより冷えておらず温かく感じた。北の山々は朝日に照らされて見事な紅葉だ、東の遠方の山は頂きに白いものが被っていた。朝風呂に入り、夕べの宴会場での朝食を取り、出発は10時なので、のんびりと寝転がっていた。

 9時半にフロントに行き支払いをし、今日使うマイクロバスが到着していると知らされた。早速網棚に荷物を乗せて、時間までロビーで皆がくるまでのんびりした。

 10時きっかりに出発し、湯の香通りの細い道を通り、ホテル松屋を左折して八千代坂を下って一文字通り(県道・渋川松井田線)の交差点を右折して左に竹下夢二記念館を見やりながら坂道を下ると信号があり、右側の道路へと進んだ。

 5分足らずで、水沢観音堂(坂東三十三ヵ所16番札所。創立は推古天皇(592
628)のころと伝えられる古寺で、再三焼失し、現在の建物は天明7年(1787)の建築。本堂は7間四方、本尊の千手観音は寺の秘仏である。六角堂には銅造地蔵尊立像6体がある。門前には名物水沢うどんを食べさせる店がある)の駐車場に着き、1時間の休憩、ここへはいろんな旅行で立ち寄りましたが、今回のような時間がなかったので境内を見て帰るというパターンばかりでしたが、はじめて、階段(54段と39段)を下り、山門を抜けて下まで降りました。

 車道に面して何色かに紅葉した木々で素晴らしい景色でした。このあたりはどちらを向いても今が最高の色付き合いだと思います。

 景色を眺めながら5、6人で坂道(標識に駐車場まで300m)を登り、所々に在るもみじの木の下で写真を撮ったり、もみじの種を取ったり、椿の種を拾ってマイクロバスにもどると、まだ時間があったので、土産の水沢うどんを買って出発した。

 マイクロバスは元来た道を戻り、伊香保温泉街を抜けてつづらおりの坂道を登り、榛名富士を右に見ながら、山裾の方に2本の道を見やると、左に墨田区の榛名健康学園山荘の古ぼけた看板が目に入った。今でも五吾嬬地域の子供会では毎年8月に大勢の子供たちを連れて活動しています。

 榛名湖には12時前に到着。予約の昼食には大分早かったので、先に白鳥遊覧船(大人700円)に乗ることにしました。このあたり山並みは、すでに紅葉は終わっていた。

 船室の座席がほぼ一杯になると出航し、前日の雨上がりにも関わらず、風も無く、波も無くなんとも乗り心地のいいことか、約20分の乗船で湖面を1週する事が出来た。

 のどかな湖面では釣り舟(1日3000円)が糸を垂らして樂しんでおり、湖のほとりだけはよく紅葉していた。

 船を下りて、昼食を予約した「大蔵坊(だいぞうぼう)こばやし」へ行くと、支度がしてあり、昼食休憩は1時50分までとタップリ取ってあるが早速酒を頼み、わいわいがやがや何時も通りの光景だった。

 ワカサギの揚げたてのフライのおいしかったこと、10人全員がふうふう冷ましながら口に頬張っていた。

 会計をすると何人かは時間まで店に残ったが、土産の(   )を買い、榛名「湖畔の宿」記念公園へ行ってみた。機械が故障していたので名曲は聞けなかった。回りの写真を何枚か撮っていると集合時間が近づいてきたのでマイクロバスにもどった。

 榛名湖を後にして、来た道を渋川駅前まで戻り、早めに到着したので、駅前の「でんでん」で好きな飲物を飲みながら暇つぶしをして特急「水上6号」に乗りこみ、席に着くと昨日と同じように酒、ビール、焼酎を飲み賑やかにしていたが、その内に誰と無く寝こんでいた。やはり、見かけは、わかそうでも歳は争えないとツクヅク思った。これで今回の旅行のスケジュ-ルは、ほぼ全部終了、上野に到着。タクシーで八広まで。

 既にお膳立てしてあった、居食屋  で7時より夕食(行かれなかった山下さんも参加)をして9時には散会したそうです。私は家に着くと、帰ってくるのを待ちかねて居たらしく義父の様態が急変したと知らされ、店に居た仲間と店のマスターに詫びて失礼し、オットリ刀で、曳舟から妻の実家へ向った、どういう訳か乗換え駅では、待つことなく乗れ、イライラすることなく、また、特急にも乗れ思いの外、早く着けた。
 お蔭様で義父も持ち直し事無きを得ましたが、約2ヶ月後の新年早々帰らぬ人となってしまいました。米寿のお祝いを一族で行った直後の享年88歳でした。

罪滅ぼしに
 
居食屋 
 を紹介させていただきます。
 母上が17年前に始めたお店を受け継ぎ、平成13年11月に現住所に移転しオープン、小ざっぱりとした明るいお店です。
 柳橋の割烹料理店で修行した腕を生かし、和食をメインにした「無国籍料理・創作料理」を生み出しています。仕入れは勿論市場で、目利きにも自信が!! 初めての方にも、3回通って下さる頃には好みも分かり、黙って座ればお気に入りの一品を出せるそうです。
 2日ごとにメニューを入れ替え、刺身、焼き魚、揚げ物、酢の物、ラーメン、そば、にぎり寿司、とんかつ・・・・・・と何でも、わがままを聞いてくれる嬉しいお店です。おすすめは『皿うどん』で、ボリュームたっぷり、味は抜群の人気メニューです。長〜〜い、お付き合いのお馴染みさんにも愛され、日々精進するお店です。2階には15名ぐらいで、コース3,000円からの貸し切りも出来ます。ランチは700円で日替わりで3種類があります。
 八広1−37−12   TEL3612−1802   毎週月曜日休み