日帰り旅行

(平成14年3月17日(日)

靜岡6つの味めぐり

本場焼津のとろカツオ1本お土産付き

ひとり¥5,280




 恒例なら近所の寿司屋か赤提灯の飲屋とかソバ屋の2階で、酒を酌み交わしながら1年間の反省を交えながら引継ぎを兼ねて簡単な方法で抽選して次の幹事さんを決めるところですが、今回は今まで一度もやった事のない激安(¥5,280)の日帰りバス・ツアー旅行に出かけました。
 今年は気象庁が天気の統計を取り始めて130年になるそうですが、今だ勝手ない異常暖冬で3月の15日には東京でもソメイヨシノが開花するという暖かさです。昔から熱さ寒さも彼岸までとか言いますが、彼岸入り前というのにこの陽気、出かけるには又とない季節で、今日の旅行に出かける8名の方々は集合時間前に集まり、早速タクシー2台に分乗して読売観光旅行の待ち合わせ場所の押上の東京三菱銀行前へ約束時間より30分以上前に着き、「早すぎたな〜」といっていると早々にバスはやって来た。
 バスは、すでに竹の塚、北千住から数人が乗っていた。座席は指名座席になっていたので、指名されていた通りに席に着いたが、他にも乗車する人がいるらしく、添乗員とバスガイドはバスから下りて、お客さんが来るのを待っていた。約束の時間真近になると、1人がバスに乗り込んできた。するとバスガイドのお待ちどうさまという声と共にバスは走りだし、錦糸町駅前で本日の乗合わす半数以上の人達が乗ってきた。
 発車時刻には、かなり時間があるようで、「トイレに行かれたい方は駅前の交番横にありますのでどうぞ」というアナウンスがあり何人かは用を足しに下りて行った。全員集合したところで次ぎの東陽町からも数人乗せ、木場の交差点を右折して三つ目通りへ入り首都高速9号深川線の木場インターから入り、箱崎で6号向島線と合流し環状線内回りで3号渋谷線に入り、何処も渋滞せず首都高速を抜け、東名高速もスイスイト走り、持参した缶ビールやワンカップのお酒、乾きもののおつまみなどを渡し、「やれやれ」とホットしていると第1回目のトイレ休憩の海老名サービスエリアに到着。全員で観光バスの前で記念写真を取る。(15分休憩)
 空は、日本晴れで空気はカラット爽やかで、どうしてこんなに空いているのかといぶかるような状態で、15分の休憩後出発した。大井松田辺りに来るとバスの正面ガラス窓に何度見ても嬉しくなる富士山が雲も無くクッキリと御殿場、沼津、吉原、富士川、由比、清水、靜岡インターを出るまで何度も振り返りながら見ていた。
 インターを出ると、まず、「6つの味めぐり」最初の
≪1≫・
靜岡茶(お茶と飴つき)工場見学と新茶のサービス、皆さんお茶やその他の土産を買っていたが、我々のグループは1袋8個入りで200円の甘夏を買い早速バスの中で食べて見ましたが、これがなかなか美味かった。(20分休憩)
 いくらも走らない内に
≪2≫・
登呂遺跡(安倍川もち賞味と見学)遺跡前の指定の安倍川もちの店で、あんこと黄粉の一口サイズの入ったパックとお茶のサービスで舌鼓みをして土産に1箱を買い、遺跡見学に席を立った。私はここへ来るのが初めてだったので、時間もあったので、ユックリと5棟の再現住居の中にまで入ってみたが、ある住居に入ろうとすると、入口でかなり頭を下げたつもりでいたが、ちょっと「ず」が高くて嫌という程柱に頭をぶつけてしまい、その痛さは目から火が出るように痛かった。(30分休憩)
 国道150号線を左に行くとまもなく
≪3≫・
たまるやわさび(工場見学、試食とワサビアイスクリームミニカップ付)見学通路には、ワサビがどんなにいいかというパネルが幾つも表示されていた。そのなかに、
『ワサビはガン細胞増殖抑える』
 すかいらーくフードサイエンス研究所(田村真八郎所長)と東京都立立川短期大学の福家洋子助教授らの研究グループは、ワサビにヒトの胃がん細胞の増殖を抑える成分があることを発見した。ワサビには抗菌作用などがあることが知られているが、がん細胞の増殖を抑制するという報告は初めてという。
 物質は、まだ特定できていないが、ワサビの辛味成分意外に含まれる事が分かっている。安全性の高い抗がん剤になる可能性もある。
 研究グループは食用の沢ワサビの根を細かく切り、エタノールを加えて辛味成分を除去し、残渣(ざんさ)に水を加えた水溶液を胃がんの培養細胞に加えたところ、著しい細胞数の減少が観察されたという。その効果は抗がん剤として知られる「マイトマイシンC]と同程度だったという。
 水溶液をセ氏90度で加熱処理し、高分子成分を除去した後もガン細胞抑制効果があった。まだ物質は特定できていないが、分子量500以下と比較的小さく熱的にも安定した有機化合物と見られる。研究グループでは物質を特定した後に、動物実験などを通じて効果を確認する。胃がん以外のガン細胞に効くかどうかも調べる。
 有効成分はワサビという日本で長く食べられてきた香辛料に含まれているため、安全性は高いと考えられる。ワサビの辛み成分には抗菌作用のほか、食欲増進作用、ビタミンCの安定効果などがあることが知られている。研究成果は近く日本食品工業学会誌上で発表する。
『辛みが抗菌の主役』
 「日本の特産のワサビの一適は太陽に次ぐ殺菌力を持っている!!」1932年に海軍軍医学校に招へいされたが外国人学者は、摩り下ろした沢ワサビの絞り汁がコレラ菌、チフス菌、ジフテリア菌、肺炎球菌、結核菌などを簡単に死滅させたのを観察して賞賛した。
 私達の研究室でも、腸管出血性大腸菌O157や6種類の食中毒細菌を用いて、沢ワサビやチューブ入り練りワサビの効果を調べた結果、両者ともシャーレの中に1・2グラムを置く事により、凡ての細菌の繁殖を24時間は抑えることを確認した。最も強い効果を受けたのは、海産魚介類が感染源となることが多い腸炎ビブリオであった。刺身や鮨にワサビをつけるのは香辛料としてだけではなく、食中毒防止の目的にもかなっている。ワサビの抗カビ効果は更に強く、食パンや餅を入れたタッパーウエアの片隅に、2・3グラムのワサビを置くだけで、カビの繁殖は完全に抑えられた。
 ツーンとくるワサビの辛みの成分が、抗菌効果や抗カビ効果の主役アリルからし油(イソチオシアン酸アリル)である。ワサビ植物体の中ではブドウ糖と結合した配糖体の形(シニグリン)で存在し、ツーンとした刺激は無い。摩り下ろしたり細かく刻む事で、植物体中の加水分解酵素の働きで揮発性のアリルからし油となる。チューブ入り練りワサビには、香辛料として合成アリルからし油が含まれている事が多い。
 ワサビの効能については、この他にもいろいろ報告されている。細胞のがん化を促進する肉や魚の焼け焦げ物質を分解する作用(パーオキシンダーゼ)、老化やガン化を引き起こす活性酸素の分解作用(スーパーオキシドジスムターゼ)寄生虫アニサキス殺虫効果、だ液や証拠液分泌促進効果、ビタミンB1合成増強効果(メイラード反応阻害作用)などがある。
 日本が原産地である沢ワサビは、古来から野生のものが香辛料として上流社会で珍重され、駿府城に隠居した徳川家康も献上されたワサビが大好物であったと伝えられる。ワサビが育つ環境は厳しく、年間水温が8〜15度Cの山間の渓流水や湧水(ゆうすい)が最適とされる。安倍川上流の有東木(現在静岡市)でワサビが栽培されるようになったのは、400年ほど前からである。その後、ワサビが静岡県の特産品となったのは、栽培に適した標高500〜700メートルに清流が多いという自然環境によるものであろう。
 道路が整備され、車や観光客が山間奥地まで入り込むようになった現在、病害虫に侵されるワサビ田が増えており、その対策が重要な課題となっている。素晴らしい効能を持つワサビを守るためにも、自然環境を何時までも大切にしたい。(30分休憩)
 ワサビ工場を出発して左に海岸を見ながら国道150号線を戻ると安部川になり橋を渡るり、東海道線、東名道路の下を通り、やがて日本坂トンネル抜けて国道から県道へ左折して目指す
≪4≫・
焼津マリンステーション(買物とマグロチーズの試食、とろカツオ1本お土産付)に到着。
 新鮮な魚介類が買って頂戴とばかり跳ねているのからいろいろ沢山陳列していたが、試食に出されたマグロチーズが、とても美味しく、食べながら物色していましたが、袋詰や箱詰になったマグロチーズを買っている人が多かった。あっという間に出発時間になり、ここは他の所より時間の経つのが早く感じた(30分休憩)
 ここが本日の日帰りコースの折返し点、県道から東名高速道路の焼津インターから靜岡インターまでの1区間を走り、右に風の強くなった海岸を眺めながらの国道150号線を東に久能山のイチゴハウスが左に見え始めると今までとは打って変って渋滞になり
≪5≫・
カドヤいちご店(カップ入りいちご賞味とお買物)に着くまで暫くノロノロ運転.だった。バスを降りて外に出ると午前中、風もなく穏やかだった天気も午後からは一転海からの強風で波柱が護岸に激しく打ち寄せていた。(20分休憩)
 
日本平久能山東照宮についてのガイド説明があり、日本平の南側にある小山。久能山下から16折、1,159段の急な石段が続くが振り返るとおだやかな駿河湾の眺めが印象的。山頂の久能山東照宮をはじめ、山麓の石垣イチゴなどでも知られる。家康公は天文11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にて生まれましたが 当時はいわゆる戦国時代。このときに一小国より興りあらゆる困難にも打ち勝ち遂に天下を 統一し、乱世に秩序を与えて産業を興し学問を広め平和と文化の基礎を確立し近世日本の 発展に偉大な功績をのこされた。晩年は駿府城に在ったが元和2年(1616)4月17日75歳で 薨去、御遺命により当山に葬り、従来山上に在った久能城を廃止すると同時に2代将軍 秀忠公の命により宰相頼将卿(後の紀州家の祖頼宣卿)が総奉行となり中井大和守正清を 大工棟梁として元和2年5月着工。同3年12月に至る僅か1年7ヶ月と云う短期間に造営された のが現在の建物である。
 元和3年12月21日、勅使万里小路孝房卿以下参向。東照大権現の 神号を賜り又同年3月9日にも勅使中御門中納言尚長参向。正一位御追贈の宣下があった。 社名は初め東照社と称したが正保2年11月3日宮号の宣下があり以来東照宮と称するに至った。
 後明治維新の際旧来の制度は全く廃止されると共に神仏混淆の禁止に依り仏式に関する一切の 建物器具等廃棄された。明治6年2月18日県社に、同21年5月1日別格官幣社に各々列せられたが 昭和21年2月2日官制廃止により社格は除去され同時に旧来の社号を改め久能山東照宮と称する ことになった。尚、神廟・社殿・神庫・神楽殿・鼓楼・其他の諸建物は重要文化財に又久能山全域も 国より史蹟として指定されている。徳川家康公は平和、開運、学問、厄除けの神として崇められ全国東照宮の根本大社として幅広く崇敬を集めております。

 ●三保の松原は清水市の南、駿河湾に寄せる白波越しに長く裾野を引く富士を望む景勝地で、深い緑の老松群が彩りを添えている。漁師伯梁(はくりょう)と天女の伝説で知られる羽衣ノ松やフランスのバレリーナジュグラリス夫人記念碑がある。現在の2代目羽衣ノ松は樹齢約650年といわれている。毎年10月に薪能による「羽衣」が上演される。
 ●清水港の輸出入品はどんなものがあるか、どんな国とやりとりしているか、数字( すうじ)で紹介します。(平成11年清水税関支署資料)

静岡県清水港管理局
輸出 1兆6671億円 バイク3865億円 エンジン2169億円 自動車1732億円 楽器733億円
輸入 5136億円 まぐろ1095億円 パルプ217億円 木材177億円 紙類、紙製品132億円
輸出国 1・アメリカ
5728億円
2・ドイツ
1150億円
3・イギリス
796億円
4・フランス
784億円
5・イタリア
761億円
輸入国 1・アメリカ
791億円
2・台湾
643億円
3・フィリピン
438億円
4・韓国
385億円
5・中国
318億円


清水港に入ってくる船   

コンテナ船 コンテナを運ぶ船。
清水港から輸出されるものの多くがこの船で運ばれています。
清水港に入ってくる1番大きな船は、横が6メートルのコンテナを6600個も
積む事が出来ます。
コンテナ・・・かもつを入れる鉄(てつ)やアルミの箱(はこ)のこと。
大きいコンテナ(よこが12メートル)は大型バス1だいとおなじくらいの大き
さです。
自動車運搬船 自動車を運(はこ)ぶ船。
船の中には10センチぐらいの間隔で車がびっしり入っていて、駐車場のビルのようになっています。
大きいものは6500台の自動車を積むことができます。
船につみこまれるのをまつ自動車
チップ船 紙の原料になるウッドチップ(木のかけら)を運ぶ船。
ウッドチップは、清水港の輸入品の中では、重さでナンバーワンです。
清水港に到着したウッドチップは、このあと静岡県内の 製紙工場に運ばれ
ていきます。
LNG船 液化天然ガス(LNG)を運ぶ船。
LNGはマイナス162℃の冷たい液体で、船のタンクの中に入れて運ばれて
きます。その後、清水港の袖師基地(そでしきち)で気体にされ、都市ガス
となって、静岡県内の家や工場まで届けられています。
冷凍運搬船 冷凍マグロを運ぶ船。
遠い海でマグロをとっている船のよこについて、マグロをつみかえ、マイナス
50℃ぐらいの大きな冷凍庫に入れて運んできます。
清水港は、マグロの水揚高が日本一の港です。
テクノスー
パーライナ
ー(TSL)希望
防災訓練や県民を対象にした体験乗船等を行うほか、カーフェリーとして
清水港と下田港の間を運行しています。  災害が起こったときには、人や
ものの輸送に使れます。

 
静岡観光汽船株式会社
〒424−0943 静岡県清水市港町2丁目10番1号浪漫館1ーA
TEL
・054353)2222/FAX・054351)1746
海の上で新鮮な幸を、まさに海尽くしの贅沢
天然の良港、清水港ならではの海の幸を味わってみませんか?
素材の新鮮さをいかしたシンプルで豪快なバーベキューは絶品のおいしさです。
●出港場所〜清水マリンパーク(清水波止場)
●出港時間
〜11:30  12:55
●所要時間〜50分

 この船上バ-べキューは以前利用した事があった。何といっても清水では山本長五郎だ!!!
清水の次郎長
清水みなとの名物は、お茶の香りと男伊達。
 幕末、明治維新にわたり、東海道はもとより、その暴れん坊ぶりは全国にその名を轟かせた世紀の大親分、清水の次郎長。広沢虎造の浪曲をはじめ、数々の時代劇、映画などによりその武勇伝も、こん日まで多くの人に語り継がれてきました。が、ここまでならばただの悪党。義理が重たい仁侠の世界で名をはせたからとはいえ、次郎長がこれだけメジャーになったのは彼の晩年の生きざまを語らずして無いと言える。彼ののちの功績を見ておわかりのように、まさに転身、人を愛し人に尽くした後半生。これこそ御人が多くの人々に愛され評価されている由縁なのであろう。
 本名を山本長五郎。文政32年(1820年)元旦、清水市美濃輪に生まれる。
幼きは同町内の米問屋である叔父山本次郎八の養子となり、次郎八の長五郎が転じて、人は次郎長と呼ぶようになったと云う。儀父のあとを継ぎ、相場でもひと儲けして早くもその才能を表わした若き日の次郎長であったが、20歳のとき、ある旅の僧から25歳の寿命との予言を言い渡されてからは自らの運命を呪うかのようにはみ出し、家をとびだして侠客の道へ身を投じてゆくのであった
 およそ喧嘩か博打に明け暮れながらも刀の腕と度胸は鍛え抜かれ、弘化2年(1845年 次郎長28歳)の甲州津向の文吉と駿州和田島の田左衛門の河内の大ゲンカの仲裁をきっかけにその名を売り、いちやく侠名人の仲間入りを果たした。刃物も切れれば、頭もきれる。筋も通せば義理も固い。そんな次郎長に惚れてついた者も数知れず、いつしか28人もの子分衆(28人は精鋭、著名人。実際は千人もの乾分に及んだと云う)を従える東海きっての大親分となっていったのだった。
 だが、もしも次郎長が単なるのゴロツキの集まりの大将であったなら、天下の大親分なんて決して云われなかったであろう。その子分衆がまたすごくて、それぞれの地区を代表するような大変な輩ばかり。手のつけられない暴れん坊、森の石松や、槍の使い手怪力無双、大政。念仏唱えて人を切る法印大五郎などなど、その人一人でも充分物語りになってしまうような実に多彩なキャラクター揃い。これらを束ねていたことからだけでも次郎長という御人にその人望人徳と並みならぬ器量を感じざるをえない。
 次郎長の前半生は確かに「博徒その親分」。面倒見がよく、弱きを助け強きを挫くいわば悪役スターなれど、20余年にもおよぶ甲州は黒駒の勝蔵との血みどろの争い、伊勢への遠征などは華々しく語られようとも決して鮮い功績とは言い難い。
されど次郎長は「大親分」なのである。彼の前半生、そこには「義理の人 次郎長」が居た。
 次郎長の前半生を「義理の人」とするならば後半生はまさに「人情の人」と言えよう。彼の後半生は明治維新の最中、政府の要人との関わり合いの中で花開いた。特に有名な話に、「かん臨丸の事件」がある。
時は明治元年(1868)9月18日、徳川幕府の軍艦であった「かん臨丸」が新政府の官軍によって清水港内で攻撃を受け沈没した。次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、また湾内に浮遊する屍を拾い集め、手厚く供養し葬ったのだった。
 これらの行為が駿府藩の耳に止まり、出頭、詰問を受けたがそこで次郎長は「死ねば仏だ。仏に官軍も徳川もない。仏を埋葬することが悪いと言うのなら、次郎長はどんな罰でもよろこんでお受けします。」と答えたのだった。抗争で人を殺し、自分も生死の狭間を生きた一人の博徒が初老にしてたどりついた境地であった。このいきさつをあとで聞いた山岡鉄舟は、ただの博徒に過ぎない次郎長が一番高いところからものを見ていることを知っていらいいたく感服し、鉄舟が明治21年に亡くなるまで親交が続き、また次郎長も自分より17歳も年下の鉄舟に心酔し数多くのことを学びおおきな感化を受けたのである。
 山岡鉄舟、榎本武揚らの知遇を得た次郎長はその後様々な社会活動をおこなった。有度山(清水市)の開発、三保(清水市)の新田開拓、巴川(清水市)の架橋、などの地元事業のほかに、遠州相良(榛原郡相良町)で油田の発掘事業にも携わったり、明治8年には鉄舟の勧めで富士の裾野(現富士市大淵次郎長町あたり)の開墾に着手。自らも鍬を握り十年にわたって開墾に励んだのである。また開墾のかたわら、「これからは外交の時代、言葉ぐらい話せなくては」と先駆け、明治9年に清水に英語教師を招いて若者の英語教育を始めたほか蒸気船の必要を力説し、自らも所有して清水港とその発展に尽力した。 晩年、次郎長68才の時、波止場に汽船宿『末広』を経営し、いつも懐に菓子を持ち子供に与え、金を持てば困った人にくれてまわる毎日だった。清水ではそんな人柄を愛し、誰もが『次郎長さん』と敬称しています。 明治26年6月12日、74才で大往生をとげた。遺骸は、妻のお蝶(初代、2代目、3代目ともに)、大政、小政らの子分らの墓に守られて静かに梅蔭寺に眠っている。
 前半生の次郎長はたしかに博徒であった。だが人の功績は死したあとに定まるものであるとするならば、信念を持って地域に尽くした人情家、社会事業家としての晩年の次郎長を無視することは出来ない。幕末から明治に生きたひとかどの人物であったことは間違いないのである。
 次郎長の精神はいまも清水市民のこころに根ずいています。人情もろくて義理がたい。おっちょこちょいだがノンビリ屋。言葉はきたないが気持ちはきれい。ちょびちょびおせっかいやきたがる。そんな人よく見かけます。
『次郎長さん』は今でも清水を代表するような人物でなのす。
 どうですか?次郎長という人物をあらためて知ることができましたか?余談ですが次郎長翁が亡くなった年に名古屋の「きんさん、ぎんさん」が生まれたなんてのも意外な話ですね。
もしあなたが次郎長のことに興味をもったり何かの縁で清水に訪れたなら、ぜひともこの次郎長ゆかりの地へおいでください。
 次郎長の生家では当時の生活空間をそのまま残し、次郎長の遺品の数々をはじめ写真やパネルを展示していて次郎長に関する情報がいっぱい。6代目のご主人の服部令一さんが、次郎長にまつわる話を事実に忠実に詳しく丁寧に説明してくださいます。

ご存知28人衆
清水次郎長 お て ふ 大   政 小   政 増川の仙右ェ門 大瀬の半五郎
森の石松 法印の大五郎 追分の三五郎 桶屋の吉五郎 大野の鶴吉 問屋場の大熊
お相撲の常 三保の松五郎 伊達の五郎 関東の丑五郎 田中の敬次郎 辻の勝五郎
寺津の勘三郎 吉良の勘蔵 四日市の敬太郎 舞阪の富五郎 国定の金五郎 清水の岡吉
由井の松五郎 興津の盛之助 小川の勝五郎 伊勢の鳥羽熊    

バスガイドさんも心得たもので此の辺に来れば以上のことを長々と自慢節で右に左にと縷々話が弾む。午後の眠たい時間にも係わらずツイ聞かされている内に最後の
≪6≫・
由比桜えび館(桜えび試食とお買物)到着。季節はまさに桜えびの季節で海岸沿いには所狭しと干してあるだろうと思っていたら、あいにく強風のためか何処にも見られなかった。店の中に入って行くと、行列が出来ていた。
 その先は、ほんの小さな入れ物に入った生エビを配っていた。少しばかりだったので、なおさら美味しかったのかもしれない。つられて、その生エビを買いこんでいた。今日来られなかった3人のお土産には、生ではなく干した桜えびを買った。(30分休憩)
 由比桜えび館は、すこし国道1号線から山側に入ったところにあり道も引き返して来るしかない道なので国道1号線に戻り、蒲原附近までは海や海岸が見えたが、だんだん小高い山腹を走り遥かに駿河湾の水面が見え隠れしていたが、それでも富士山はこの時間になっても、はっきりくっきり本当によく見えました。
 富士川を渡り富士市となる。製紙工場の町吉原、澗井川の河口田子の浦、ここから国道1号線から東名高速富士インターへ向い、帰りも本当にガラガラの東名高速を一気に沼津、裾野、御殿場、足柄サービス、鮎沢サービス、大井松田、秦野中井インターまでは、よくぞこんなに空いていると思うほど空いていた。
 それでもサスガニ伊勢原附近に来ると少しずつスピードが落ち始めてきた。厚木を過ぎ、さいごの休憩地海老名サービスエリアで15分の休み相変わらずの、ノロノロ運転も大和トンネルを過ぎるとスピードは上がり横浜町田、港北パーキング、横浜青葉、東名川崎、東京料金所、東京インターから首都高速に入り、三軒茶屋付近までは順調に走っていたが、さすがに、ここで捕まってしまった。バスは予定のコースかは知りませんが、渋谷ランプから一般道路に出て、青山通りを宮益坂上、表参道、青山、赤坂見附、永田町、最高裁判所左に見ながら、三宅坂で内堀通りへ社会党本部、憲政記念館、日本水準原点、国会議事堂を右に見ながら、さらに我国の国家中枢機関の建ち並ぶビルや警視庁、法務省をはじめ地方・簡易裁判所、高等裁判所等々を右に、左に皇居のお堀を見ながら、左に左折する内堀通りを進みニ重橋前を右折して、馬場先門で日比谷通りを横切り、東京ホーラムを右に、東京駅の南で線路を潜り、京橋、宝町、首都高速の京橋ランプを右に、桜橋、八丁堀、高橋を渡り、新川、永代橋西詰で、永代通りに合流して隅田川に架る永代橋を渡り、門前仲町、木場、東陽町で朝乗ってきた人が降り、左折して、江東区役所を右に見て葛西橋通りを横切り、扇橋で清洲橋通りを横切り、住吉で新大橋通りを横切り、錦糸町駅前で半数以上が降り、太平4丁目で蔵前橋通りを横切り横川4丁目で春日通りを横切り浅草通りの都営、京成押上駅前で我々8名と他に1人が下り、その時にバスのトランクから自分の土産と全員に、
本場焼津のとろカツオ1本のお土産を受け取った。
 都営半蔵門線の工事の為に解体したビルの跡に新築された6階建の2階に出来た「すかいらーく」で軽い食事をして、2台のタクシーに分乗して地元八広で解散しました。
 今回の読売旅行の日帰りバスツアー(本場焼津のとろカツオ1本オ土産付き)靜岡6つの味めぐりに、参加するまでは、初めてであり、「どんなサービスをしてもらえるのかな?」と内心ワクワクしていましたが、これは素晴らしいと口々にお褒めの言葉を頂き、ホットするのと同時に読売旅行の企画に感謝します。ここまで書いていますが、一つ最後まで書いてないのが、昼食です。プラスチックの折詰め弁当でしたが、弁当そのものは、パックの中にご飯が、3色で、オカズも10種類以上が一つずつ舟に乗せてあり、味が混ざらなくて美味しかったのですが、30分でものんびりと食事をする所を設けて欲しかった。
でもでも、楽しい1日を有難う。