大分空港








 

 大分空港は、瀬戸内海に突き出た国東半島東部の
武蔵・安岐両町の地先水面を埋立てて設置された、
いわゆる「海上空港」であり、大分市から陸路約
52km
海上約
29km、別府市から陸路約37kmの距離にある。



  • 所在地  大分県東国東郡武蔵町大字糸原字大海田
  • 標点位置 北緯33度28分34秒、東経131度44分23秒
  • 標高   5.17m
  • 敷地面積 1,481,681u


 旧大分空港は、昭和13年に旧大分海軍航空隊基地として開設されたが、終戦を経て、昭和31年5月に米軍から返還され、同年7月運輸省が空港整備に着手し、昭和32年3月に第二種空港として供用開始した。以来、現大分空港の開港までの14年7ヶ月の間、東九州における航空交通の要路として、その役割を果たしてきた。

 旧大分空港は、大分市の市街地に近く、滑走路の両端を大分川・裏川の両河川に挟まれた地形上の問題に加え、大分地区新産業都市開発計画により、航空旅客の需要増大に対処するための空港施設の拡充、特に滑走路の延長が 不可能となった。

 このため、昭和36年に大分県から空港移転問題が提起され、昭和40年6月に移転候補地として、県内の7ヶ所が選定された。その後、現地調査が実施され、昭和41年5月に交通の便に問題はあるものの、 航空管制上の問題がない現在の安岐・武蔵地区が適地として決定され、昭和46年10月に現大分空港が誕生した。

 供用開始当初2,000mであった滑走路は、昭和57年12月に第1期工事として北側に500m延長し、第2期工事として昭和63年10月に南側に500m延長して、現在3,000mで供用している。

 空港の開港と同時に、空港と大分・別府を最短距離、最小時間で結ぶ我が国唯一のホーバークラフトが就航し、平成3年12月には、新旅客ターミナルビルの竣工とともに、空港内に直接乗り入れを開始した。

 平成2年12月には、日本エアシステム大分乗員訓練所が開設され、機長昇格等の訓練が行われている。平成4年4月には、東京路線がトリプルトラック化、平成6年9月には大阪路線がダブルトラック化などにより 乗降客数は毎年順調に増加し、平成7年に年間乗降客数が初めて200万人を突破した。

 平成10年11月には全日空の関西線及び沖縄線がエアーニッポンへ移管し、平成11年7月には日本航空の大阪線がジャルエクスプレスに移管した。又、将来の旅客増に対応し、旅客施設サービス向上の為、平成12年3月より着手してきた旅客ターミナルの増改築工事が完了。(平成14年、グランドオープン)

 13年(暦年)の乗降客数は国内外の景気の冷え込みに伴う需要の落ち込み及び米国同時多発テロの影響を受け平成7年以来堅持してきた年間200万人を割り込んだ。

 又、大韓航空(大分〜ソウル)に続き、平成14年4月から中国西北航空公司(現中国東方航空西北公司:大分〜上海間)による国際定期便が就航している。