佐渡

両津市(椎崎温泉)
平成14年10月19〜20日(曇)
阪急交通社trapics東日本
MAXグリーン車で行く !!! さわやか佐渡 味覚の旅2日間
〒108−8355 東京都港区三田3−4−10リーラヒジリザカ
                        03−5445−0508
参加人員==24名
集合場所==東京駅八重洲北口JR東海ツアーズ前
集合時間==午前7時50分
幹事==戸口 良夫、佐山  功

http://photos.yahoo.co.jp/id40b 







 今回も午前6時50分に会長宅前に集合して、タクシー2台に分乗し、錦糸町駅北口からJRで東京駅の地下ホームに到着。エスカレーターに2,3度乗換え中央コンコースで八重洲口の新幹線の入口方面に向った。旅行会社の集合場所については幹事も確認していないということでよくわからないというので、お節介ながら私が先頭に立って場所まで案内することになったが、首尾よく迷わずにパンフレットに書かれた集合場所に着いた。まだ、旅行会社の添乗員もおらず、しばらくすると緑色に白抜きの文字の入った小旗を持った男性が、他社のツアー募集参加の老若男女を、かき分けて空いている場所に立ち、小旗を揺らしていると我々と共に出かける応募者が集合時間より前に集まってきた。しばらく、時間調整のため周りをフラフラしながら地下街をふらついてきたが、時間のせいか全店までとはゆかず、シャッターが下りている店が多かった。
 その間に、幹事の2人は朝食の弁当やお茶、日本酒、ビール、チューハイなどを調達して、重そうに両手に持っていた。やっと、ホームへ入る時間がやって来た。北口の改札を通り、階段やエスカレーターを上がりホームへ、停まっている12両編成の午前8時24分発MAXあさひ309号グリーン車の入口前まできたが、まだ、車内清掃作業の真っ最中で、ホームで待たされた。


 待ち時間を利用して、一番先頭までいってMAXあさひの今朝の容姿を撮影して戻ると、乗客が車内へ入り始めていた所だったので、中には入り私の席は2階だったので階段を上がり、仲間のいる席までゆき、決められた椅子に腰を下ろしいると、椅子の向きを変えるということになり、変えていると、音もなく、振動もなく定刻発車していた。
 発車した車両は、瞬く間にスピードが上がり、知らぬまに地下に入っていた。すると上野、上野のアナウンス、もう、この頃には弁当は配られ、アルコールは口の中を通過して五臓六腑に染み渡っていた。ということは、動く前から飲み始めていたということでした・・・・・・・・・・・・・・・・
 幹事役は、何時もなら二人で勤めるのですが、今回は佐山さんが腰痛のため、やむなく一緒に出かけられなくて変わりに名前も同じ義兄弟の佐山さんが参加して下さり有難う御座いました。(今後は会員として参加しませんか)と勧誘しましたが、いい返事は貰えませんでした。残念 !!
 上野を発車すると、まもなく地上に出た。すると新幹線は京浜東北線の尾久駅辺りに来ると、こんなに高いところを走っているのかと気がついた。男ばかりの8人メンバー飲んで下ネタ話に花を咲かせて高笑いしているのがオチだった。赤羽、荒川、そして埼玉県、大宮に停車、そこから、今回の旅行を一緒にする12名の女性の一団がMAXの入口で待ち受けいた添乗員と一緒に乗りこんできた。そんなこんなで車内はなお一層にぎやかになった。車内はここで満員状態になり、高崎、長い長い大清水トンネル、湯沢、浦佐、長岡、燕三条、終点新潟。






上越新幹線

           新潟駅前広場                   信濃川(万代橋方面)

 

ジェットフォイル と フェリー  


佐渡汽船の目玉とも言える超高速船。最大速力
47ノット(時速87キロ)。(フェリーは20ノット強)
高速で航行中は、船体が海面から浮上し、
状態になり、コンピューター制御により縦揺れ
横揺れがなく乗り心地はフェリーと比べると
大変快適だそうです(ごめんなさい、
私は乗ったことありません
)。
 フェリーは人だけでなく車や貨物などを運び(約40q)、新潟から佐渡へはジェットフォイルで1時間、フェリーだと2時間20分。フェリーだとデッキや甲板でて、カモメに餌を上げたりできるけどジェットフォイルは高速のため外には出られない。
 ジェットフォイルはジェット機と同じガスタービンを使用している。ジェット機が離陸するように船体が海面から浮き上がるから、波の影響を受けず船酔いにはあまりならなく飛行機のように、座席は前方を向き横に並んでいる。
 過去3年間のカーフェリーの就効率は98%、ジェットフォイルは95%、残りの2〜5%は台風と冬のっ時化によるもの。
 海での通行は原則として右側通行で、道路と同じように、航路にも船の安全な運行を守るための世界共通のルールがたくさんある。


左上おおさど丸
右上デッキのうきわ  
左最上甲板の煙突
ロビー階段


乗船あれこれ

新潟市からフェリーで2時間20分。
高速船ジェットフォイルで1時間。
日本海最大の島(全体としては
沖縄本島に次いで2番目の大きさ)、
佐渡ヶ島(新潟県)です。
 佐渡金山や特別天然記念物トキ、
そして外海府海岸など歴史と
自然が残る島です。

地形
佐渡の面積は、
854.6ku東京23区の1.5倍。日本一大きな島。島内には1市9町村もあり、訪れる人のほとんどが、あまりの大きさに驚く。

気候
佐渡沖を流れる対馬海流の影響で、冬の温度が本土(越後)より
12度高く、雪もほとんど積もらない。夏は逆に本土より12度低いので、冬暖く、夏は涼しいといえる。

人口
 江戸時代からあまり増減がない。寛保元年(1741)の記録によると93,334人。明治5年(1872)で106,262人。一番人口の多かった時が、第2次世界大戦後の昭和25年(1950)で
125,597人。平成7年(1995)の国勢調査では74,950人となって過疎化の現象は佐渡も例外ではない。

産業
農業は米づくりが中心だが、果樹栽培も盛んで、特産のおけさ柿がトップ。主に北海道などへ出荷される。また古くから牛の牧畜も行われ、佐渡牛として移出されている。
佐渡は3/4が山林で、しかも寒暖両系の植物分布がみられるところから森林資源は豊富。近年はナラ原木のシイタケ栽培が盛んで年間3億円の生産量は県下一。
水産業では、大小35の漁港を基地に、漁穫量約3万トン。ブリ・マグロなど種類は豊富だが、養殖も盛んだ。カキやワカメが代表的だが、加茂湖のカキ水揚げが年間2億5000万円。真野町に県下唯一の栽培漁業センターがあり、養殖技術が日夜研究されている。
農村に工業をと、精密機械工場や縫製工場が各地にできつつあるが、特異な存在に「佐渡みそ」がある。年間生産量約
13,000トンで、全国生産額の1/40に当たるという。
工芸的なものに、竹細工と窯業がある。とりわけ窯業は「無名異焼」の名で全国に知られ、窯業も10数軒、日用品から芸術品まで数多く作られている。

佐渡の能楽堂

佐渡トキ保護センター

 特別天然記念物・国際保護鳥のトキ(全身純白の羽毛に包まれていますが、翼の風切羽と尾羽、顔の部分が美しいピンク色をしている)。学名がニッポニアニッポンというだけに日本を代表する鳥であったのでしょうが、現在国内では、新潟県の佐渡島内の「新穂村トキの森公園」佐渡トキ保護センターで保護・飼育されているものしかいません。
 現在、野生のトキが生息しているのは、中国陝西省洋県(せんせいしょうようけん)だけです。佐渡トキ資料展示館だはパネル、映像資料、剥製標本、骨格標本等のほか、飼育しているトキの生中継も見ることができ、また、屋外には見学コースが併設されているから、直接観察ができる。
 2002年現在、純粋な日本のトキはメスの「キン」1羽のみ。
 日本でのトキの人口繁殖が進み始めたのは平成11年からで、この年、中国から借り受けたり贈呈されたトキにより、繁殖が試みられています。そして、初めてのヒナが誕生しました。平成12年(2000年)2羽、昨年
(2001年)も合計11羽のトキが産まれ、今年(2002年)11羽が生れ、平成14年10月19日現在24羽が佐渡トキ保護センターで元気に飼育されている。日本で暮らすトキたちはわずかですが、増えつつあります。
 
 しかし、最後の純粋な日本のトキ「キン」には、高齢な為、繁殖能力が少なくおそらく日本のトキの血を引く子孫登場はむずかしいのかもしれません。

 開館時間
:8:30〜17:00(入館は16:30まで) 
 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合翌日の火曜日休館)、年末年始
 協力費:(=環境保全協力費)大人200円、小人100円

 両津港に着くと新潟交通のバスに乗り、佐渡能楽の里へゆき、土地柄、能の盛んな佐渡の農家の人たちが畑仕事をしながら口ずさむほどだといわれる島の文化に親しめるのが、人と間違えるほどに演じられる薪能「道成寺」が観られる。電動で動く人形(人物大)が、舞ったり、つづみを打ったり、謡曲をパクパクと口を動かし、約20分間のひとときだった。
   能楽館・能楽資料館/大人800円・小学生400円
   電話:0259−23−5000
 新穂村トキの森公園を後にする頃には、辺りも薄暗くなり始めてきた。きた道をそのまま折り返し、加茂湖のほとりの小高い所にある「佐渡ハイツホテル青木」が今日の宿泊地だ。
 宴会前に一風呂浴びて部屋に帰り、湯上りにビールを一杯飲んだが、いつもながらこんなに美味しい飲み物は、この世の中でほかにはないとツクヅク思う。
 宴会は、まず、ホテルの特別サービスということで「佐渡おけさ」歌や踊りが、賑やかにありおよそ15分あり、後は飲んで、馬鹿話にハナが咲きお開きの時間になり、部屋でまた飲み、早々に寝床に入り、疲れていたのか、バタンきゅうと明るくなったのも知らずに寝こみ、午前6時半にもなっていて、あわててとび起き、朝風呂に行き、午前7時40分出発なので急いで食事をして、バスに乗りこんだ。
 2日目の最初の見学場所は、ホテルを出て昨日見学した佐渡能楽の里、トキの森公園を横に見ながら新穂、金井で国道350号線に入り、佐和田から右折して中山トンネルを抜け、大佐渡スカイラインへ向う道路に入るとすぐに右側に佐渡金山に登る坂道に入ると間もなく到着。





佐渡(さど・Sado island)

 
新潟市からフェリーで2時間20分。高速船ジェットフォイルで1時間。日本海最大の島(全体としては沖縄本島に次いで2番目の大きさ)、佐渡ヶ島(新
潟県)です。
 佐渡金山や特別天然記念物トキ、そして外海府海岸など歴史と自然が残る島です。

姫崎灯台(Himesaki cape lighthouse)

 明治28年に佐渡の灯台第一号として造られた灯台(新潟県両津市)。明治の洋風建築風の造りで歴史を感じさせます。
 また、日本最古の鉄造灯台であり、「世界の灯台100選」に選ばれています。「日本」の灯台100選ではなく、「世界」の灯台100選である所に注目下さい。

佐渡金山Sado gold mine) 

慶長6年(1601年)に開山され、平成元年(1989年)までたくさんの金を産出した日本最大の金山。
 東西3,000m、南北600m、深さ800mの範囲に鉱脈が分布している金山で、現在観光用に公開されているのはその西の端に位置する宗太夫坑。

矢島・経島(Yashima/Kyoshima)

 新潟県小木町、佐渡の南端に位置するこの町はたらい船が有名です。その体験試乗が今でも出来る場所がここ矢島・経島。
 矢島は良質の矢竹を産したところで、源頼政がヌエ退治に使った矢もここ産のものだということ。
 経島は文永11年(1274)日蓮の赦免状をたずさえた高弟の日朗がここに漂着、読経して一夜をあかしたところだということです。
 このような歴史のある場所ですが、それよりなによりきれいな海の様子が一番の見所です。


ジェットフォイル(Jetfoil high-speed ship)  

 佐渡汽船の目玉とも言える超高速船。最大速力47ノット(時速87キロ)。(フェリーは20ノット強)高速で航行中は、船体が海面から浮上した状態になり、コンピューター制御により縦揺れ横揺れがなく乗り心地はフェリーと比べると大変快適だそうです(ごめんなさい、私は乗ったことありません
)。




佐渡トキ保護センターSado Japanese crested ibis protection center

 特別天然記念物・国際保護鳥のトキ。学名がニッポニアニッポンというだけに日本を代表する
鳥であったのでしょうが、現在国内では、新潟県の佐渡島内の新穂村佐渡トキ保護センターで保護・飼育されているものしかいません。
 2001年現在、純粋な日本のトキはメスの「キン」1羽のみ。
 近年、中国から借り受けたり贈呈されたトキにより、繁殖が試みられています。今年
(2001)も合計11羽のトキが産まれ、日本で暮らすトキたちはわずかですが、増えつつあります。
 しかし、最後の純粋な日本のトキ「キン」には、高齢な為、繁殖能力が少なくおそらく日本のトキの血を引く子孫登場はむずかしいのかもしれません。

 開館時間
:8:30〜17:00(入館は16:30まで) 
 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合翌日の火曜日休館)、年末年始
 協力費:(=環境保全協力費)大人200円、小人100円


 
 


 
 
 

佐渡金山Sado gold mine) 

慶長6年(1601年)に開山され、平成元年(1989年)までたくさんの金を産出した
日本最大の金山。
東西3,000m、南北600m、深さ800mの範囲に鉱脈が分布している金山で、
現在観光用に公開されているのはその西の端に位置する宗太夫坑。
 江戸時代、越後をめぐる街道の整備は佐渡の金銀を、経済・交通の中心となった江戸へ輸送することにより開始されました。大久保長安によって出雲崎・高田を経て信州で中山道追分を結ぶ北国街道の開設が計画され、元和年間(1615〜24)に完成。さらに出雲崎、寺泊から長岡、六日町を経て中山道高崎宿を結ぶ三国街道が整備されました。また、奥州街道白河から会津、津川、新潟、出雲崎に到達する街道が整備され、信州越え・三国越えとともに三道とよばれました。
 また佐渡金銀山を舞台に海運が隆盛を見せたのも江戸時代。米は越後・出羽・酒田・津軽・越中伏木・能登から、材木は越後や秋田から積み込まれ、鉄や油、水銀、生糸、薪、炭、塩などは敦賀から回送され、人の往来には越後直江の津・出雲崎港が使われました。佐渡の小木港は慶長19年(1614)、出雲崎への金銀の渡海場に指定され繁栄期を迎えました
 おけさの島・佐渡の南玄関、小木町は江戸時代黄金の積み出し港として発展し、北前船西廻り航路の寄港地となりました。当時、小木港は出船・入船が数知れぬにぎわいを見せ上方文化がここから流入しました。ロマンと歴史の町の由縁はここから始まったのです。
 天然記念物指定の12kmに及ぶ美しい海岸線と、素朴な人情はこの地を訪ねる人々に郷愁を誘う心のふるさととして親しまれています。

 約45分が過ぎると、来た道を引き返し中山トンネルの手前で、七浦海岸の海岸線をグルリと回り、途中で夫婦岩で休憩し、みやげを買い記念写真を撮り、沢根から今、日本国中で北朝鮮の拉致事件で喧喧諤諤の話題の人「曽我ひとみ」さんが自宅に戻っている最中の真野町を(居眠りしていて知らない間に)通過をしていた。
 そしてまた、350号線に入り鉄砲鼻、そして小木の「たらい舟」の乗船場に到着し、早速、乗船したが、
曇天のわりには、岬の影にあるのかベタなぎだったので、観光用のたらい舟の漕ぎ方の説明を受けて漕がして貰ったが、バスガイドの話のように、これが、なかなかの曲者で前にも後ろにも左右どちらへも進まず、うまく動かせたら免許証が出るいうので、ちょっとその気になったが、箸にも棒にもならず、少しばかり悔しかったが、他の人達のを見ていても、後ろや横には行くが、前には思うようにならなかった。





矢島・経島(Yashima/Kyoshima)

 新潟県小木町、佐渡の南端に位置するこの町はたらい船が有名です。その体験試乗が今でも出来る場所がここ矢島・経島。
 矢島は良質の矢竹を産したところで、源頼政がヌエ退治に使った矢もここ産のものだということ。
 経島は文永11年(1274)日蓮の赦免状をたずさえた高弟の日朗がここに漂着、読経して一夜をあかしたところだということです。
 このような歴史のある場所ですが、それよりなによりきれいな海の様子が一番の見所です。

 たらい舟が考案されたのは明治の初期で、洗濯桶から改良に改良を重ね現在のたらい舟になったといわれています。
 小舟よりも安定感があり、小回りがきき自由に操作できるように考案されたものが始まりです。見えたり隠れたりする岩礁が多い小木海岸では、ワカメやサザエ、アワビ採りのために、現在でも漁船として数多く利用されています。
 ○たらい舟の材料
   樹齢約60年の杉・長さ10m以上の真竹

 ○大きさ
   縦・180p 横・140p 深さ・55p
 みっちり1時間が過ぎ、午前11時をまわっていた。先程の真野町まで戻りアルコール共和国で試飲をして、今日の昼食場所の佐渡歴史伝説館に到着。桃山風庭園の池に、浮かぶようにして立つ佐渡歴史伝説館では、佐渡の歴史や伝説を等身大のハイテクロボットが紹介していた。歴史コーナーでは、日蓮聖人、順徳天皇、世阿弥といった佐渡にゆかりのある人物が800年前の歴史を再現。伝説コーナーでは、おじいさん、おばあさんロボットが語り部として民話を語り、安寿伝説、夕鶴伝説、おけさ伝説をジオラマで再現。こまやかな演出が足を止めさせてくれ見応え十分だった。
 昼食は午後0時30分を過ぎていたが、温かいごはんと味噌汁が最高に美味しかった。その上お代わりは自由に何杯でもというサービスだったのでつい食べ過ぎてしまった。
 そして、最後の休憩は「鮮魚ショッピングセンター」でみなさん鮮魚や海産物を袋一杯に詰め込んで買っていた。午後2時30分には両津港の改札待合室でのんびりしていた。出航は午後3時10分だが、はやばやと行列が出来ていたが、改札が始まったのは3時ちょっと前だった。両津、新潟両港とも建物の3階から桟橋になっていて、ほとんどの乗船者は2等船室に乗り込んだ。定刻にはドラが鳴り、「ホタルの光」の曲がもの悲しげに響き桟橋を静に離れ始めた。4階の椅子に座り、回りの景色をながめていたが、船尾は南に向け、バックしそして船首が岸壁を離れると、どんどん右回転して港の入り口に立っている「おけさ灯台」に向けてスピードを増して行ったが、今日も昨日に負けない強風が吹いていたが船長の船内放送では「風速は10数メートルの北西風が吹いているが安全航行に徹しますのでご安心下さい」と心強い挨拶があった。港を出ると今日の方が大きく揺れたので心配したが、30分もすると少し静かになったので最上階の甲板に出ると水飛沫が凄くて眼鏡が見えなくなる程飛び交っていた。





姫崎灯台(Himesaki cape lighthouse)

 明治28年に佐渡の灯台第一号として造られた灯台(新潟県両津市)。明治の洋風建築風の造りで歴史を感じさせます。
 また、日本最古の鉄造灯台であり、「世界の灯台100選」に選ばれています。「日本」の灯台100選ではなく、「世界」の灯台100選である所に注目下さい。