鬼怒川温泉

 

ホテル ニューさくら(塩谷郡藤原町)
2003年10月18日〜19日
東武トラベル株式会社
PM12時30分発特急「きぬ121号」
PM14時29分着(スペーシア)
参加人員=9名
集合場所=佐山ガソリンスタンド前
集合時間=AM11時
幹事=宮腰要輔




 今年の旅行会は新幹事として高橋寛治、宮腰要輔のお二人がくじ引きで決まりました。しかし旅行先を検討している矢先に吉田義男会長が6月22日に突然急死という悲しい知らせにびっくりするやら驚くやらで、次の週(25日、26日、吾嬬旅行会に本人も参加)には会員のほとんどが参加を申し込んであり、また、役員(幹事長、副幹事長、会計)をしている関係でお葬式も26日通夜、27日告別式という日取りに決まり、慌ただしくお別れをするということになりました。謹んでお悔やみ申し上げ謹んでご冥福をお祈り致します。

 瞬く間に49日も過ぎ、旅行先も何とか決まり、最終チェックを連日、夏日続きの中、9月に入ってから出掛けたが、高橋さんが体調を崩し、入院という事になり急きょ退会するという申し出があり、強く慰留をを勧めましたが、「寄る年波にはかてん」との希望により全員で止む無く了承することで決まりました。

 旅行も一度に2人の退会で寂しさはひとしおで全員が幹事のつもりで車中の飲物やつまみや弁当などの買出しで松屋デパートの地階で思い思いのビニール袋を重そうに持って戻ると改札も始まり座席指定の乗車券を一人一人手渡たされ、ホームに入るとスペーシアは、まだ、入線しておらず、しばらくホームのベンチで雑談をしていると、徐に入線し停車すると乗客が降り、車内の掃除が始まりなかなか乗車が出来なかった。

 座席に着くや否や持ち込んだ「日本酒」、「ビール(生、レギュラー、黒)」、「焼酎」、「おつまみ」「弁当」などETC。各自いつも通りの飲食で、浅草、地元の今年3月から相互乗り入れで東京急行が半蔵門線の延伸で乗り入れて来た曳舟、東京の北の玄関、北千住、西新井、竹ノ塚、草加、越谷、春日部辺りを過ぎるとアルコールも程よく回り、赤ら顔や能弁になったり、ややもすると回りを気にもせずはしゃぎまくっていた。

 それでも、何処となく気が引けるのか、しばらくすると騒ぎも収まり故人のよもやま話や過去に辞められた方とのエピソードなど思い出話が多かった。最終の鬼怒川温泉駅(PM2時49分)に近づくと、時間も早く着いてしまうので、この後の予定はないというので誰とはなく何処かへ行って時間潰しでも仕様ということになり、改札口を出るとタクシーの運転手に紅葉の身頃のところは手近にないかと聞くと「日光」と即答が帰ってきたが、往復の時間を聞くと「日光」は今一番の身頃ということで、時間に関しては通常の時間の保証は出来ないといわれた。

 やむなく往復で2時間前後で一台15,000円ぐらいで行ける所はというと「もみじライン」の鶏頂山のスキー場の辺りならどうかとのことだった。ここならチョクチョク行っているので紅葉見物なら一押しというので、2台の車に乗り込み出発した。


 途中、富士見台、峠の茶屋、白滝、鶏頂山のスキー場とその都度車を止めて、下車して見物しながら写真を撮ったり、おでんを食べたり、さすがに気温も温泉駅よりもかなり低く厚着をしていて丁度いい陽気だった。

 タクシーの運転手に急きょカメラマンに変身してもらい2台の車の間に全員が並び記念写真を撮ってもらった。その時に気が付いたのが車の屋根に大きいのはゴルフボールほどの凹みが幾つもあることに気が付き、たずねてみると今年の盛夏によく雹が降り余りの大きさで屋根だけではなくフロントガラスにヒビや割れたりとトンダ災難に遭ったと嘆いていたが、タクシー会社の台数が多くて、格好が悪いが直すだけの予算はなくてこうして使っている訳ですとスマナサソウにそっといていた。

 帰りは、龍王峡で休み、勝手知った土産屋の横を通りぬけて坂道、階段を下りて「数奇な伝説を秘める鬼怒川・川治の守護神である度身体が祭られている五竜王神社」、すでに紅葉も始まっている「虹見の滝」、「楯岩」、川原の「奇岩」「遊歩道」など少し見物して、みんなの待っている車へ戻って車に乗るとすぐホテルに到着した。

 ホテルに着くと入り口にスタッフがずらりと並んで「いらっしゃいませ」と一斉に声を合わせて歓迎されると何やらコソバシかったり、ロビーで腰をおろして休んでいると担当の従業員が部屋まで案内してくれた。

 非常口やフロント、風呂など一応の説明などあり、お茶を5人分入れて帰っていった。館内も風呂などへ行くと湯船も露天も人で一杯だった。中でも驚いたのは、人の隙間に競泳プールの飛び込みのように飛び込んできた若者には一瞬何が起きたのかと、きょとんとしていた。温泉ホテルにも何度も行っているが初めての光景だった。

 風呂上りに冷蔵庫のビンビールを飲むと、「やっと旅行に来たなー」と何度来ても思うことは同じだった。時間まではテレビを見ながらお決まりの猥談に花を咲かせながらアルコールも進み、ほろ酔い機嫌で居ると宴会の館内放送と電話のコールがあり連れ立って小宴会場へ行った。

 今回は吉田会長の喪中ということでお酒と雑談ということで芸者もコンパニオンもカラオケもないという少し寂しい飲み会ではあったが、これもこれでみんなで納得した懇親会であった。

 何回か続いた部屋でやる二次会は止め、ホテルのカラオケスナック「銀河」で何人かで連れ立って入るとガラガラだった。2時間3000円の飲み放題歌い放題という条件でマスターと交渉して「OK]ということで8人で唄って隣のボックスの3人連れの女グループを入れ替わり立ち代りダンスをして時間までバカ騒ぎをしてしまった。後で会長ゴメンと詫びても後のまつりだった。

 今日も後数分で日が変わるという時間だったが、部屋に戻ると、またまた冷蔵庫の飲物を覗いたが宴会前に飲み干していたので何にもなかった。いつも事だ。持ってきたウイスキーを水割りにして暫し飲んで人気のない露天風呂へ行き手足を伸ばし適当に冷える(本当はすごく寒い)風を上半身に受け、涼しく感じてから首まですっぽり入って温まった。

 布団に入ると白河夜船で朝起こされるまでぐっすり、早速朝風呂へ出かけた。風呂好きの私には1日何度でも入るが、起きるのが遅かったので「カラスの行水」でバイキング形式の朝食会場へ向かい、おかゆに納豆、焼き海苔、サラダ、梅干3個、果物(オレンジ1個)を食べて部屋に戻った。もう9時近かった。

 今日の日程は鬼怒川温泉駅発AM11時16分のスぺーシアに乗り遅れなければいいということでのんびり着替えてみんなで揃ってロビーへ向かった。エレベーターを降りるとラウンジの端に「日光杉の銘木」が飾ってあったので掃除に忙しい「おねいさん」にカメラのシャッターをお願いして記念写真を撮った。

 ラウンジ横の「お土産処」で少しばかりの品を買い10時までコーヒーを飲んで時間を潰した。表に出るとひんやりした風がやけに冷たく感じたが自分だけかもしれないが駅までの道をひやかしながら「みやげ店」を右に左に寄りながらサービスにくれる温泉饅頭を食べながら舌づつみを打っていた。何時もの土産店で温泉饅頭を買った。

 定時発車する特急に乗り込んだ。駅の売店で買いこんだ缶ビールとつまみを一人一人に配り飲み食いが始まった本当に行きも帰りも飲まして食わせていれば、帰りの車中はおとなしい良い子なんだ。浅草近くまでみんな寝込んでいた。

 日曜日の浅草は人人でいっぱいだった。新仲見世のアーケードは食事処、買い物、馬券売り場、映画館、ゲームセンターなどへ向かう人並みでごった返していた。人を振り分けて昼食場所へ急いだ。

 浅草公会堂近くの洋食屋「ぱいち」が昼食場所だった。幹事の馴染みの店だそうです。2階に上がると席が設けられていて座敷になっていた。長いテーブルに9人が一緒に座れた。ビールと酒が運ばれた。名物の「ビーフシチュウー」は後にして牡蠣フライ、はじめ揚げたての揚物がどんどん出てきたが大勢居るからあっという間に、どの皿も空っぽになってしまう。

 その内に、お待ちかねの「ビーフシチュウー」が出て来た。良く煮込んであって熱くて柔らかくて口の中に入れるととろけてしまうほどの柔らかさだった。あれやこれやを食べている内に満腹になり時間も来たのでお開きとしてタクシーに分乗して八広に到着した。