高速道
(群馬県編)
(上信越自動車道)
藤岡
市制制定:昭和29年)4月1日 |
市章:カタカナの「フ」の字を合わせ 中に「丘」を表す |
位置:東経139°04’41” 北緯 36°15’19” |
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面積:180.09km² |
人口:71,098人 (男34,942人、女36,156人) |
世帯数:25312世帯 (平成19年9月1日) |
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市の木:クスノキ、モクセイ、スギ | 市の花:フジ、サルビヤ、冬桜 |
西暦538年、百済から仏教が伝来した。この時代に瓦技師が来日し、日本寺院の造瓦を担当したのがはじまりといわれている。天平時代(奈良)に各地国分寺の建立が進むにつれ、瓦の需要が盛んになってきました。これが(ふじおか瓦)のはじまりといわれている。
郷土カルタにも“魔よけの鬼面藤岡瓦”(天平期、朝廷の命で開始した藤岡の瓦作り、鬼面瓦は今も手作り)とある。
▲「ふじの咲く丘」は、45種類のフジの見本園です。250mのフジ棚は見応え十分。4月下旬から5月上旬にかけての「ふじまつり」では、物産販売、茶席、各種展示会、コンサート、夜間ライトアップ、撮影会ではふじ娘がモデルとして参加。
▲竹沼(緑埜地区)の周りに植えられた約1000本の桜が満開になる。開花に合わせて開かれる「竹沼桜まつり」(例年では4月第1日曜)では、野点、和太鼓・三味線・大正琴の演奏、物産販売、甘酒サービス、ヘリコプター遊覧など。ボートから湖面に映る桜を眺めるのもいいね。桜といえば、墳丘をおおいつくすように咲く七輿山古墳(上落合地区)のソメイヨシノも見もの。
平成18年(2006)1月1日 - 鬼石町が藤岡市に編入する。
吉井町
町制:昭和30年1月15日 |
町章: |
位置:東経138°59’ 北緯 36°15’ |
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面積:58.35km² |
人口:25,421人 (男12,545人、女12,876人) |
世帯数:8,465世帯 |
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町の木:ケヤキ | 町の花:サザンカ |
明治2年(1869年)吉井藩主信謹(のぶのり)は版籍奉還(はんせきほうかん)を願い出て、ここに吉井藩は岩鼻県に編入された。明治31年(1898年)には今の中央公民館・産業文化会館の位置に吉井煙草専売所(よしいたばこせんばいしょ)が設置された。養蚕は古くから盛んで、最盛期の昭和30年から40年にかけては、吉井町には一年間の繭の収穫量が500kgを越す農家が数百戸あった。
20世紀は戦争の世紀ともいわれます。日本でも、日清戦争(にっしんせんそう)(明治27年(1894年)から28年)、日露戦争(にちろせんそう)(明治37年(1904年)から38年)を戦い、第一次世界大戦(大正3年(1914年)から8年)では中国、シベリアに出兵。昭和6年(1931年)には満州事変(まんしゅうじへん)が始まり、昭和12年(1937年)には日中戦争に発展した。
さらに昭和16年(1941年)には日本も第二次世界大戦に突入し(太平洋戦争)、戦争の敗色が濃くなると、吉井町にも東京から学童の疎開があり、食糧不足が続いた。
はるか上毛の山なみを望み、清く流れる鏑川のほとり、多胡の古碑や万葉の東歌がものがたるように、美しい自然と風土のなかに開け、古くから文化と産業の栄えてきた町です。
甘楽町
町制:昭和34年2月1日 |
町章:円型と上部両端で「甘楽」の「甘」を両端は「ラ」を表し 「はと」、「わし」の飛行の様で、飛躍発展を図る願い |
位置: |
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面積:58.57km² |
人口:14,625人 (男7,108人、女7,517人) |
世帯数:4,439世帯 平成18年9月末 |
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町の木:アカマツ | 町の花:ソメイヨシノ | 町の鳥:キジ |
甘楽町は、群馬県の西南部に位置し、上信越自動車道富岡インターより約4km(8分)にある。古い家並みと桜並木に沿って日本名水百選の雄川堰がゆったりと流れる城下町小幡そこだけ時間が止まったかのように江戸時代の面影を残す武家屋敷、緑まぶしい甘楽の山々より、わき出る生命の泉を雄川堰に引き入れ、小幡・織田・松平の城下として栄えた小幡。この歴史と文化の城下町小幡に、人々の健康と幸せを願う福徳の七福神がある。
富岡
市制制定:昭和29年)4月1日 |
市章:「自然」と「家族愛」でデザインは、「太陽」・「鏑 川」・「妙義山」と「と」を表現し、健康で豊かな生活 |
位置:東経138°53’ 北緯 36°15’ |
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面積:122.90km² | 人口:54,465人 (男26,817人、女27,648人) |
世帯数:18,464世帯 平成18年3月1日 |
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市の木:モミジ | 市の花:サクラ | 市の鳥:ウグイス | 海抜:166m |
富岡製糸場は
●富岡付近は生糸を作るのに必要な
という理由から。
繰糸場(そうしじょう)は長さ約141.8m、幅12.6m、高さ11.8m
で、繭を生糸にする繰糸工場には300人繰りの繰糸器が置かれ、全体で556人(明治6年4月)の工女達の手によって本格的な器械製糸が始まり、製品は海外でも
平成18年(2006)3月27日、妙義町と新設合併し、新富岡市となる。
下仁田町
町制:昭和30年3月10日 |
町章: |
位置:138°47’32” 36°12’33” |
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面積:188.27km²(海抜:261m) | 人口:10,468人 (男5,151人、女6,317人) |
世帯数:3,613世帯 |
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町の木:スギ | 町の花:サクラ | 町の鳥:ウグイス |
下仁田町は、群馬県の南西に位置し、「しもにた」の名は、アイヌ語で沼地に木の生えた場所を意味する『ニタ』、つまり原始には森林の沼沢地だったところから「下仁田」と名付けられたと思われる。
古墳時代から文化は栄え、近世に入ってはネギ栽培や養蚕が盛んになり中山道の脇往還(姫街道)として宿場も栄え、近代になるとコンニャクの町として知られるようになり、現在でも「下仁田ネギ」と「しもにたコンニャク」は全国に名が通っている。
●こんにゃく
こんにゃく芋はサトイモ化の多年生植物、原産はインド、セイロンあたり。東南アジアや中国の奥地には今も野生のものがあるようですが、食用として伝わったのはなんと日本だけです。中国の辞書にも「蒟蒻」という字は無いといわれています。
こんにゃくが日本にいつ伝わってきたのかという問いにはいくつかの説があり、定かではありません。記録上では大和時代に医薬品として朝鮮から渡来とされています。食用としてはおそらく仏教とともに日本へ渡ってきたのでしょう。
花は、咲くまで4 〜5年です。こんにゃくに加工する芋になるまでは3年以上かかりす。3年 とい
ってもずっと植えたままではなく、 秋には収穫され、凍傷をうけないように暖められた貯蔵庫で冬を越しまた植えられる。
日本には、古くから栽培されている「在来種」「備中種」という種類がありましたが、大正時代に中国から「支那種」という種類を輸入し、これとの掛けあわせによって「はるなくろ」、「あかぎおおだま」という改良種が誕生しました。現在では生産の90%以上をこの2種類で占めています。
●在来種
我が国で古くから栽培されてきた品種。
精粉歩留まり、粘度が高く、品質的にもっともすぐれており価格も高い。
●支那種
南洋種、ビルマ種とも呼ばれる。大正15年頃中国から輸入された。
精粉歩留まりは低い、粘度は強い方。
●備中種
在来種とともに古くから国内で栽培されてきた品種。
グルコマンナン含有率は低く、粒子も小粒、粘度も弱い、価格はもっとも安い。
☆はるなくろ(コンニャク農林1号)
群馬県農業総合試験場で支那種と在来種を交配して育成された。
在来種より気象災害にたいして強く、荒粉歩留まりは在来種と支那種の中間。
▼はるな黒=姿はT字型、葉色は淡緑色。品質的に最も優れるが各種病害、気象災害に弱く、栽培が難しい品種である。
生子はやや長目の球状。
☆あかぎおおだま(コンニャク農林2号)
群馬県農業総合試験場で支那種と在来種を交配して育成された。
荒粉歩留まりは支那種についで低いが、精粉歩留まりは高く、粘度も強い
。
▼赤城大玉=草姿はT字型、日焼けに弱い欠点はあるものの、各年生において肥大力に優れ精粉歩留まりは極めて高い。
生子は棒状が多い。
●ねぎ
下仁田ネギは200余年の歴史をもっていますが、明治以前は主に旧下仁田町周辺農家により自家消費を中心に栽培さ
れていたようで、平地で栽培されるようになったのは明治に入ってからで、大正時代に入り現在の主産地である下仁田町
馬山地区で盛んになりました。
昭和に入って一部篤農家による皇室への献上や上毛カルタに「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠まれていることから知
名度が高くなったと考えられ、これに伴って、群馬・長野の両県農事試験場が栽培試験をてがけたが、群馬(前橋)では育
ちが悪く、長野では育ちすぎて葉が硬直するなど食べ物にならなくて、結局「下仁田ネギは下仁田におけ」という結果に終
わったとのいわれる。
下仁田ネギは播種から収穫まで15カ月と大変に長い栽培なのでその年の温度等の気象条件、育成の限界温度は0℃
と35℃で、育成適温は、15〜20℃で、変化に左右されやすい品種。
(1)ダルマ系
葉身が太く、葉先は丸く、内外葉の葉長がそろっている。全長、軟白部ともに短く、耐病性に欠けるが肉質は良い。
(2)西野牧系
葉が細めで長く、軟白部もやや長い。肉質はダルマ系よりやや落ちるが耐病性は強い。
(3)利根太系
全体的には太いが葉長および軟白部が長く、形状・肉質は下仁田ネギとしての特質に欠け、根深ネギとしての特性が強い。
安中
市制:昭和33年)4月1日 |
市章: |
位置:東経138°53’ 北緯 36°19’ |
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面積:276.34km² | 人口:64,842人 (男31,678人、女33,164人) |
世帯数:23,171世帯 |
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市の木:マツ、スギ | 市の花:梅 | 市の鳥:オシドリ | 海抜:180m |
古くは東山道、近世には中山道の宿場、関所がおかれるなど交通の要衝であり、現在も市内に新幹線駅1駅、高速道路IC2ヵ所と立地条件に恵まれ、交通・輸送の要所として栄えている。
碓氷関所址・碓氷関所は1616年、江戸幕府によって設置されました。中山道は重要な交通路であったため、関東入国の関門として、幕府は「入鉄砲と出女」を厳しく監視しました。東西に門があり、西を幕府が、東を安中藩が守っていました。
その東門が昭和35年、関所跡に復元され、関所資料館も建てられて、関所および交通に関する資料が展示されている。
「豊かな自然と歴史に包まれて ひとが輝く安らぎのまち」をテーマに、磯部温泉や旧碓氷峠など恵まれた環境を活かした観光事業の発展、交通の便を利点とした商・工業の充実が進められている。
平成18年(2006)3月18日 - 松井田町と新設合併し新「安中市」となった。
(一般道路)
草津町
町制: |
町章:全体で豊富な温泉を表し、力強く円に並んだ 9つの「サ」が双方から均等な力で支え合い |
位置: |
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面積: | 人口:7,625人 (男3,678人、女3,947人) |
世帯数:3,559世帯 平成18年10月1日 |
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町の木: | 町の花:石楠花(シャクナゲ) |
●湯畑
草津温泉街の中央に位置し、周囲にはみやげ屋や飲食店が軒を連ね、いつも大勢の人でにぎわっています。人気のポイントは、湧き出たお湯が木樋を通り、滝となって流れ落ちる『湯滝』。滝壺は、淡いエメラルドグリーンのお湯が輝き魅力的である。
●賽の河原
有馬、下呂と並び日本三名湯のひとつに数えられる草津温泉。開湯の伝説には、日本武尊であるとか、源頼朝が狩りに来て家来が発見したとか、草津白根山を信仰する修験者たちが温泉を発見して広く紹介していったなど諸説ある。
あたり一面の至るところから温泉が湧き出しており、草木は生えず、臭気がただよい、さならが黄泉の国を思わせる景色から鬼の泉水と呼ばれ、
訪れる人は稀であった。いつのころか不明だが、街の西側にあるから“西の河原”というようになったと言い伝えられている。
「瑞祥の池」や「琥珀の池」など、エメラルドグリーンの美しい輝きを放つ温泉の池がある。別名「西の河原・鬼の泉水」と呼ばれる。昔は、何人もここへ来たら大声を出してはならないと言われていた。しかし湯川にはマリゴケという珍しいコケが生育している。
草津節 草津よいとこ 一度はおいで |
草津小唄 |
草津湯もみ唄 |
長野原町
町制:明治22年5月 |
町章:長野原町の「長」を飛鳥風にデザインしたもので、両 翼は躍進する長野原町を象徴し、「円」は町民の和を表し |
位置: |
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面積:133.93km² |
人口:6,686人 (男3,310人、女3,376人) |
世帯数:2,473世帯 | |
町の木:カラマツ | 町の花:ムラサキツツジ | 町の鳥:ヤマドリ |
長野原町は、群馬県の西北部に位置し、東は吾妻町、倉渕村、西は嬬恋村、北は草津町、六合村、
南は長野県軽井沢町に接している。町の北部を東西に吾妻川が流れ、平行してJR吾妻線と国道
144、145号が走っていて、また、南部の浅間高原地帯から吾妻川に向かって熊川が流れ、
与喜屋地区で合流している。
町の北部は、吾妻川に沿って集落が立ち並ぶ標高510m〜830mの山岳傾斜地帯で、山が近くまで迫り平らな土地はあまり多くない、南部は、浅間山の北麓に広がる標高850m〜1350mの浅間高原地帯で、平均気温は8月が20度くらい、2月はマイナス6度くらいで、最低気温はマイナス20度まで下がることもある。
中之条町
町制: | 町章: | 位置: | |
面積:236.47km² |
人口:17,632人 (男8,602人、女9,030人) |
世帯数:6,105世帯 平成18年10月1日 |
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町の木:ケヤキ | 町の花:ヤマユリ | 町の鳥:ウグイス |
東吾妻町
町制:平成18年3月27日 |
町章:東吾妻町の「ひ」をモチーフに、 吾妻川沿いにひらけた新しい町をイメージし |
位置: |
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面積:253.65km² |
人口:17,546人 (男8,560人、女8,986人) |
世帯数:5,908世帯 平成18年9月1日 |
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町の木:ケヤキ | 町の花:スイセン | 町の鳥:キジ |
榛名湖には、四季折々の楽しみ方があり、冬は、湖面が硬い氷に覆われ、ワカサギ釣りが人気。また、全国有数のラッパ水仙の産地です。県道渋川・吾妻線の沿線には、水仙の花が見頃になる4月中旬には、約4キロメートルにわたって水仙が咲き誇る。日本名水百選のひとつ「箱島湧水」があります。清らかな水は生命の源として、豊かな自然を育みアユやヤマメなどの釣りも楽しめ、清らかな水辺に生息しているホタルの観賞は、夏の夜の貴重な風物詩です。紅葉に映える秋の岩櫃山には、多くのハイカー達が訪れ吾妻八景を代表する景勝地で見上げる滝や絶景など、変化に富んだ見どころが続し、紅葉は、10月中旬から色づき始め、10月下旬から11月上旬は最盛期は家族向けのゆっくり歩いて約1時間コース。
東村と吾妻町は、平成18年3月27日に合併し、「東吾妻町(ひがしあがつままち)」となる。
旧東村 村制:1889年4月1日 面積:33.45km² 町の木:スギ 町の花:キキョウ 町の鳥:ヤマドリ |
榛名山の北麓で小鳥のさえずりを聞きながら、のんびりと自然を 満喫できるキャンプ場では、森林散策コース・木製遊具・アスレチック ・テニスコートなどの施設がある。 吾妻川の流れと奇勝「岩井洞」を望める町営あづま温泉「桔梗館」。 箱島地区にある箱島発電所には、数多くの桜の木が植えられ、 「箱島湧水」は、清らかな水は生命の源として、豊かな自然を育み、 吾妻川と温川の合流付近では、ヤマメやイワナの渓流釣りができる。 |
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旧吾妻町 町制:1889年4月1日 面積:220.2km² 町の木:ケヤキ 町の花:スイセン 町の鳥:キジ |
坂上地区の大字大戸には関所があった。 この大戸の関所でかの有名な国定忠治が捕らえられ、磔に処された。 岩島地区は麻の生産地として古くから知られ、品質は日本一。 天皇家の使用する麻は岩島地区の産品である。 旧吾妻町市街地のはずれ、県道35号の交差点の中に立っている。 交差点の名前は「槻木(つきのき)」。近くのバス停の名も「槻の木」。 槻はケヤキの別名だから、この大ケヤキは、まさしくこの地のシンボル。 |
樽沢トンネル
日本一短い鉄道トンネルの町として全国的に有名。東日本旅客鉄道吾妻線の岩島駅〜河原湯温泉駅間にあるトンネル。山の出っ張りを掘り抜いたもので全長約7.2m、昭和21年)の長野原線(当時)開通時にトンネルも完成した。戦時中の突貫工事により作られたトンネルである。
吾妻渓谷の景観を損なう、強固な岩のためトンネルとした方が工費や工期が削減できた。現場工事の責任者が現在もトンネルの上に生えている一本松を残したかったなどの諸説がある。
樽沢トンネルは水没地域外であるため水没は免れるが、八ッ場ダム工事の進捗に伴い、樽沢トンネルを含む吾妻線の岩島駅〜長野原草津口駅間は将来的にルートが変更され、樽沢トンネルも廃止となる予定である。
(関越自動車道)
渋川
市制:平成18年2月20日 |
市章:[やすらぎとふれあいに満ちた“ほっと”な まち][日本のまんなか、へそのまち]をも表し |
位置:東経139°00’ 北緯 36°29’ |
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面積:240.42km² |
人口:87,474人 (男42,950人、女44,524人) |
世帯数:30,517世帯 平成18年9月末 |
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市の木:赤松 | 市の花:紫陽花 | 海抜:196m |
日本そして群馬県のほぼ中央部、雄大な関東平野の始まる位置にあたり、古くから交通の要衝として栄え、豊富な水資源を活かした工業、山地の開拓による農業や、首都圏の奥座敷となる観光・温泉などを主要産業としてきた。
日本のほぼ中央に位置してますので、「日本のへそ」と云われてます。毎年7月25、26の両日に、渋川"へそ祭り"が行われてます。青年達が中心になって、上半身裸になり、臍(へそ)丸だしのお腹全体に漫画や歴史上のキャラクターを絵の具で書いて、中心街を練り歩くのです。踊ったり、身体をねじったりするとお腹の画が生きている様に面白、おかしく動いて見えるので、沿道の観衆から爆笑やら拍手、声援が飛び、2年に1度の開催で山車の若連中にしても、山車囃子の稽古や準備、そして2日間の巡行曳き廻しでで全精力を使いきる。
入沢、上郷、元町、上ノ町そして川原町の5町内のAブロック、坂下町、並木町、寄居町、下ノ町、辰巳町、新町、東町そして下郷の8町内のBブロックと、南町、熊野町そして長塚町の3町内のCブロックの3ブロックです。この3ブロック毎にまとまって、午後巡行コースを廻るが、3ブロックとも、地理的に渋川の中心となる四つ角を通過するようになっている。この四つ角で、名物の暴れ山車のパフォーマンスが競われる。
渋川市は、平成18年2月20日に渋川市、伊香保町、小野上村、子持村、赤城村、北橘村が合併してできた。
渋川市 伊香保温泉、草津温泉の玄関口、JR上越線、JR吾妻線の鉄道駅、 関越自動車道ICがあり、重化学工業を中心に発展を遂げてきた。 東経東経139°00′、北緯36°29′、面積:51.59km²、 市制:昭和29年4月1日、市の木:あかまつ、市の花:あじさい。海抜:196m。 人口:47438人(男23098人・女24340人)、17799世帯。 |
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小野上村 特産品にはマイタケ、シイタケ、リンゴ、コンニャクが、豊富な自然 資源の基で農林業が基幹産業。 面積:28.36km²、 村制:1889年4月1日、村の木:ケヤキ、村の花:ヒマワリ、村の鳥:ヤマバト。 人口:2088人(男1024人・女1064人)、598世帯。 |
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子持村 村名は、万葉集にも詠まれた自然の景勝、子持山にちなんで、 基幹産業は農業で、野菜、工芸農作物、こんにゃく生産は県内2位、 畜産等が中心。面積:40.97km²、 村制:1889年4月1日、村の木:カエデ、村の花:キク。 人口:12117人(男6016人・女6101人)、3820世帯。 |
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赤城村 基幹産業は農業で、関越道などの交通の便を活用し、首都圏から 多くの観光客を呼び、イチゴなどを主とした観光農園や農産物直売。 面積:78.29km²、 村制:1889年4月1日、村の木:マツ、村の花:ヤマユリ 人口:12219人(男6095人・女6124人)、3781世帯 |
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伊香保町 「子宝の湯」「婦人の湯」町の中心にある石段街は、滝沢が馬琴や 十返舎一九などが遊興保養地として文人墨客が訪れ、観光客の 増加、主要産業がほぼ第3次産業に特化。面積:22.32km²、 町制:1889年4月1日、村の木:もみじ、村の花:つつじ 人口:3627人(男1722人・女1905人)、1610世帯 |
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北橘村 「きたたちばな」は遠い昔、日本武尊が妃の弟橘姫を偲ばれたという 伝説のある橘山の北に位置することに由来。 渋川市、前橋市両市のベッドタウン的。面積:18.89km²、 村制:1889年4月1日、村の木:ニッポンタチバナ、村の花:ヒマワリ 人口:9985人(男4995人・女4990人)、2909世帯 |
(以上、平成18年9月末現在)
吉岡町
町制:昭和30年4月1日 |
町章: |
位置:東経139°00’46” 北緯 36°26’39” |
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積:20.50km² |
人口:18203人 (男8974人、女9229人) |
世帯数:5897世帯 平成18年3月31日 |
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町の木:イチョウ | 町の花:キク | 町の花:キク(海抜:191.20m) |
三国街道一里塚
徳川幕府は街道一里毎に塚を築き榎を植えさせ、旅人に里程の目印と涼と憩いの場とさせた。ここ上野田の一里塚は起点の高崎から教えて四里で、ここから見える赤城山は美しい。佐渡街道の道しるべ
大久保宿の通りは佐渡奉行が往来したのでその名があるが、宿のはずれで伊香保道との分かれ目に建つこの自然石の道しるべには、「右ゑちご念ぶ川」「左いかほミつさ八」と刻まれており、また裏には「寛政12(1800)年庚申」と刻まれている。旅をする人のためにこの道しるべは、約200年前に土地の人が建てたものである。
桃井館の欄間
桃井館は鎌倉初期桃井八郎が居住したといわれ、後に有馬の飯野氏に移り、更に天保8(1837)年に森田氏の所有となった。居間の欄間は左右対で、熟れた葡萄に向き合う栗鼠が配され繊細にして華麗である。客間のものも同様で、咲き誇る牡丹の彫りは荘重にして精微を極めている。総て木板の透がし彫りで、誠に由緒深い名作である。
富士見村
村制: | 村章: | 位置: | |
面積:70.42km² |
人口:22,775人 (男11,379、女11,397) |
世帯数:7,267世帯 平成18年 |
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村の木:黒松 | 村の花:レンゲツツジ | 村の鳥:キジ |
明治22年町村制施行により、江戸時代から300年続いた田島、引田、横室、原之郷、小沢新田、時沢、小暮、皆沢新田、漆窪、石井、市之木場、山口、米野の13ヵ村が合併し、どの村からも富士が見え「富士見十三州」にちなみ、富士見村と名付けた。明治22年に13ヵ村が合併し富士見村が誕生した時、新しい村の人口はたった6,764人でした。それから百十年余り、今では人口22,000人の村に成長しました
十二山と村とのつきあいは赤城山の造山期にさかのぼります。十二山は赤城山の火砕流によって運ばれてきた「流れ山」で、以来いつも村人の歴史とともにありました。横室では江戸時代から村芝居が盛んになりましたが、あまりの熱狂ぶりに差し止めを言い渡されます。しかし村人は十二山の中で隠れて芝居を続け、今に受け継いでいるのです。 十二山の南斜面にある千基の庚申塔は、千庚申と呼ばれる珍しい史跡です。
村の北半分は人家は殆ど無く大部分が森林なのに対して、南半分は緩やかな丘陵地帯であり、畑作を中心とした都市近郊農業地帯である。県都前橋市に隣接しており都市部から住民が流入、人口が増加し、全国の村で4番目に人口が多い。
榛東村
村制: | 村章:村名の頭文字「しん」の組み合わせ で構成し、太い円で村民の団結と融和を表し |
位置:東経138°59’ 北緯 36°26’ |
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面積:27.94km² | 人口:14,465人 (男7,340人、女7,125人) |
世帯数:4,750世帯 平成10年3月31日 |
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村の木:杉 | 村の花:山ゆり | 村の鳥:うぐいす |
ハルナグラスの伝統から生まれるガラス製品の数々や木のぬくもりを生かした卯三郎こけし、天然の素材を贅沢に使った木工製品などの伝統工芸品はその一つで、しんとうワインをはじめ、手づくりハムや上州特有の漬物などが人気を呼び、フルーツ街道沿いなどの果樹園では、ぶどう狩りの季節を迎えると、直売所がたちならび、秋の味覚を求める人々でにぎわい、豊かな自然と歴史、文化に育まれた榛東村では、オリジナリティに富む物産が多くつくられている。
陸上自衛隊相馬原駐屯地(第12旅団司令部)がある。師団・旅団司令部がある自治体としては唯一の村である。
前橋
市制:明治25年4月 | 市章:前橋の旧藩主だった松平氏の馬印 「輪貫」からとったものです。明治42年制定 |
位置:東経139°03’ 北緯 36°23’ |
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面積:241.22km² | 人口324,546人(外国人含む) (男158,663人、女165,883人) |
世帯数:127,698世帯 平成18年9月30日 |
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市の木:ケヤキ、イチョウ | 市の花:バラ、ツツジ | 海抜: |
前橋は古くは「まやはし」と称され、「厩橋」が「前橋」に改められたのは西暦1681年から1707年まで、酒井忠挙が城主であった頃だといわれている。
「厩橋」の名は、現在利根川の流れているあたりに車川と称する流れがあり、そこにかかっていた橋を「駅家(うまや)の橋」と呼んだことから、自然に地名になったと伝えられている。厩橋城が築かれたのは文明年間(1470年代)とされていますが、この城は戦国時代、上杉・武田・北条氏等の攻防の的となり、天川原、六供方面の町並みが焼き払われ、街の中心は旧利根川の河原であった低地に移り、これが現在の中心街です。
徳川時代になって酒井氏が川越から移って城主となり、9代150年の長きにわたって城主となり、その後松平氏に代わり、松平氏は利根川の洪水による城地決壊のため、わずか19年で川越に移城し、前橋は99年の間廃城の状態が続いた。
明治14年に県庁が前橋に置かれることになって街の繁栄の基礎が築かれ、明治22年町制を施行、同25年県内最初、関東で4番目、全国で41番目に市制を施行した。
太平洋戦争終結の直前、すなわち昭和20年8月戦災を受けて中心市街地の8割を焼失するという被害を受け、戦災復興事業を施行して市の復輿を図るとともに、29年以来近接町村を合併して市域を拡大し、平成13年には特例市の指定を受け、14年には市制施行110周年を迎え、また、平成16年12月5日には、大胡町・宮城村・粕川村と合併し、中核市移行へ向けさらなる飛躍を続けている。
高崎
市制:明治33年4月1日 |
市章:「高」の古代文字()を上下に 2組、組み合わせて図案化したもの |
位置:東経139°00’ 北緯 36°19’ |
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面積:401.01km² |
人口:345,311人 【男170,426人、女174,885人) |
世帯数:137397世帯 平成18年10月2日 |
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市の木:ケヤキ・カシ | 市の花:ハクモクレン・サクラ | 市の鳥:ウグイス |
平成18年4月1日、高崎市は特例市に移行した。
特例市とは、政令指定都市制度、中核市制度に加えて、人口20万以上の市に一定の権限(生活環境を守るための騒音、悪臭、振動などを規制する権限、土地利用に関する開発行為の許可などの権限)がまとめて委譲される特例市制度によって生まれる市です。
高崎のシンボルでもある「百衣観音」は観音山頂にそびえたっている。昭和11年に建立された鉄筋コンクリート造りの観音像の中は階段で入ることができ(有料)胎内にある仏像が見られ、また、この観音山には3000本の桜が植えられライトアップもされ、とても綺麗で春になると花見客で賑う。
毎年1月6〜7日、少林山達磨禅寺では関東随一と言われている達磨市が行なわれ、6日の夜から7日の未明にかけて多くの人出で賑わい、敷地内には本堂・観音堂・庫裏・書院・大講堂がたちならんでいて、また一番てっぺんには「達磨堂」がある。九代目住職東嶽和尚が達磨の木形を彫って紙張抜きだるまを近くの農民に作らせ、同山七草の縁日に売り出されたのが、だるまの始まり。
赤いだるまは、諸病厄を除け、家内安全・商売繁盛・交通安全を願い、白いだるまは、幸せを呼び、、まゆは鶴、ひげは亀を表し、置物、民芸品にとどまらず縁起物として親しまれている。
縁起ダルマは、中国禅宗の始祖・菩提達磨は、その生まれを南インド香至国王第三子とも西方ベルチアの人ともいわれ、今も謎につつまれた人物で、520年頃に中国に渡り、嵩山の少林寺での厳しい修行は有名で、九年もの歳月を壁に向かって座し、悟りを開いたという「面壁九年」の故事が伝えら、150歳あまりの長い生涯の終わりを日本で迎えたといわれている。
日に映ゆる 観音山に 青雲の 光り飛ぶ朝 建設の 希望をかかげ こぞりたつ 市民ぞわれら 燃えさかる いぶきあらたに わが高崎市 いざや担わん |
晴れ渡る 北関東は 平和よび にじ立つところ 躍進の 旗はためきて 人みなの 抱負はたかし 盛りあがる 力を合わせ わが高崎市 振い興さん |
花ひらく 文化つちかい 烏川 流るるほとり 歌ごえも たかくあがれり 睦みあう 人の和きよく はつらつの 生気あふるる わが高崎市 ながく讃えん |
市歌は、1961(昭和36)年に、市制60周年を記念して制定 |
平成18年1月23日に、倉渕村、箕郷町、群馬町、新町と、10月1日には榛名町と合併し、新たな市の人口は34万人を超え、面積は401.01km²に及び、これから、特例市から中核市へ移行を進める。
倉渕村
村制:昭和30年2月1日 | 村章: | 位置:東経138°45’・北緯36°25’ | ||
面積:127.26km² |
人口:4,783人 (男2,324人、女2,359人) |
世帯数:1,527世帯 平成18年1月23日(最終) |
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町の木:スギ | 町の花:ヤマユリ | 村の鳥:鶯 | 海抜:320m〜1655m |
2006年1月23日廃止
西部に位置し、東には上毛三山のひとつ榛名山を望み、西は長野県軽井沢町と接し、倉渕町を源流とする烏川が村の中央を流れ、両岸の段丘に耕地や集落が散在していて、気温は日中高く、夜間は冷え込む、山地特有の気候で冬の積雪量は少ない。
箕郷町
町制:昭和30年4月1日 | 町章: | 位置:東経138°57’、北緯36°23’ | |
面積:43.76km² |
人口:19,460人 (男9,580人、女9,880人) |
世帯数:6,543世帯 平成18年1月23日(最終) |
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町の木:赤松 | 町の花:ツツジ | 海抜:120m〜1400m |
町制:昭和30年4月1日 |
町章: |
位置:東経139°00’10” 北緯36°23’40” |
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面積:21.94km² |
人口:36,568人 (男18,089人、女18,479人) |
世帯数:13,125世帯 平成18年1月23日(最終) |
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町の木:マツ | 町の花:ウメ | 海抜:110m〜260m |
2006年1月23日廃止
明治22年、市町村制の実施にともない、後に群馬町を形成することになる金古町・国府村・堤ヶ岡村・上郊村が独立しました。絹文化の豊かさを現代に伝える、日本絹の里がある。日本の近代化を支えた生糸の生産地でした。かつて養蚕が盛んだったころの絹の素晴らしさをより深く、より多くの人々に知ってもらうため、絹の染色や手織を体験することもでき神秘の糸に出会う里で、多彩な展示の他、映像やゲームなどのデジタル技術が効果的に取り入れられ、気軽な感覚で絹文化に触れることができる。
新町
町制:明治22年4月1日 | 町章: | 位置:東経139°07’・北緯36°17’ | |
面積:3.74km² |
人口12,708人 (男6,287人、6,421人) |
世帯数:5,225世帯 平成18年1月23日(最終) |
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町の木:ハナミズキ、ヤナギ | 町の花:サツキ、ツツジ、キンモクセイ | 海抜:59.5m〜71.1m |
2006年1月23日廃止
古くは中山道の江戸から11番目の宿場町として栄え、その後、鉄道の開通により宿駅は衰退しましたが、明治10年の「国立屑糸紡績工場」開設を契機に商工業の町として発展して参りました。また、陸上自衛隊新町駐屯地が、昭和26年に警察予備隊として移駐して以来、自衛隊の町。
榛名町
町制:明治22年4月1日 | 町章: | 位置:東経138°53’05”、北緯36°22’55” | |
面積:93.59km² |
人口:22,389人 (男10,939人、女11,450人) |
世帯数:7,694世帯 平成18年9月30日(最終) |
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町の木:スギ | 町の花:ナシ、ユウスゲ | 町の鳥:セキレイ・海抜:110m〜1448m |
2006年10月1日廃止
3月の第2日曜日、総合文化会館エコールをメイン会場に行われるマラソン大会です。ちょうど開催の時期には、コースとなる榛名梅林も梅の花が満開。色と香りで選手たちを迎えます。大会の運営は、多くのボランティアがあたり、平成13年の大会でちょうど10回を迎え、ハーフマラソンの部が新たに設けられ、親子の部、ウォーキング、2km、3km、5km、11kmと多彩な種目があり、誰でもが参加できる大会です。